“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
帝京長岡MF田中克幸は明治大に進む。
進路決定に悩んだ高校3年生の話。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/01/30 20:00
選手権ベスト4入りに貢献した田中克幸。春から明治大学に進み、サッカーと勉強の両立に励む。
帝京長岡のフットサルに憧れて。
田中は岡山県真庭市出身。中学時代は隣町の津山市にあるFCヴィパルテでプレーしていた。その左足は当時から評価が高く、津山市にある強豪・作陽高校に進む選択肢があった。しかし、彼は県外に出ることを選んだ。
「作陽は家から車で30分、電車で40分くらいでした。でも、自分には寮生活が必要だと思ったんです。いろいろ親にやってもらって甘えてばっかりだったので、サッカーで上に行くなら絶対に自分でやれないといけない。
それに高校サッカーとフットサルをどちらか一方ではなく、両方やりたかった。中3の時に帝京長岡が夏の全日本U-18フットサル選手権で初優勝をしました。そこから気になって、YouTubeなどで帝京長岡のサッカーを観るようになったんです。テクニカルでパスを繋いで楽しそうなサッカーだし、フットサルもできて、寮生活もできる。僕にとってはすべての条件が揃っているのが帝京長岡だったんです」
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親とヴィパルテの指導者に相談すると、当然、驚かれた。「自分で練習参加を申し込みます」とホームページ上にあった申し込みフォームに入力した。
「コーチは『え、新潟? ちょっと遠くないか?』と驚いていました(笑)。帝京長岡の練習は誰でも申し込みできる状況だったので、Aチームの練習参加の日程を選んで、親が運転する車で8時間くらいかけて長岡に行きました」
いきなり現れた岡山の少年。
スカウトをしたわけでもなく、いきなり現れた中学生に、帝京長岡の谷口哲朗総監督も驚きを隠せなかったと振り返る。
「いきなり岡山からひょこっとやってきて。それだけで驚いたけど、技術も高くて2度も驚かされました。調べたら作陽と所縁のあるクラブの選手だったので、すぐに野村雅之さん(作陽高校・総監督)に電話をして確認を取ったんです」
田中はフットサルの優勝メンバーでもあるAチームの選手と混じっても、遜色ない技術を見せた。
「練習参加の時に実際に寮にも泊まりましたし、練習内容も濃く、レベルが高かった。たまたま行った日の練習生は僕1人だったんですが、ここなら成長できると思いました。谷口さんや古沢(徹監督)さんに『フットサルもやりたいです』と言ったら、両方できると言ってもらえたので、やっぱりここしかないと思った」