ハマ街ダイアリーBACK NUMBER
1年目キャンプ初日に右肘故障。
ハマのムードメーカーの波乱万丈。
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byKyodo News
posted2020/01/19 11:30
齋藤は成田高、立大、JX-ENEOSを経て2018年にドラフト4位で入団。2年目の昨季はプロ初登板を含む16試合に登板。
巨人戦でのデビューで感じた喜び。
「確かに自己分析は、自分のなかでできていた感覚はありました」
齋藤は頷きながらそう語った。
手術から約1年後の7月5日、巨人戦(東京ドーム)で、齋藤は遅れてきたルーキーとしてデビューのマウンドに立つことになった。8回裏、2対8のビハインドの場面だったが、齋藤は打者3人から2三振を奪う好投で巨人打線をぴしゃりと抑えた。インサイドのストレートで強気に押し込みスライダーとフォークで翻弄するピッチングは見事なものだった。
「本当、投げられる喜びを感じられた瞬間ですよね。1年遅れてしまいましたけど、自分の可能性を感じられましたし、首脳陣の方々にも見てもらえた。ようやくスタートラインに立つことができたんだって」
特筆すべきは、社会人時代に最速149kmだったストレートが151kmまで上がっていたことだ。手術後は過酷なリハビリはもちろん、ゼロからのフォーム作りを余儀なくされたが、齋藤は持ち前の自己分析力を駆使し、能力を向上させた。
「トレーナーさんと相談しながら、自分でいろいろと選んでやってきたんです。怪我の功名じゃないですけど、あの期間がなかったら今のボールは投げられなかったと思いますね」
初先発で見せた自らの持ち味。
昨シーズンは16試合に登板し防御率5.76と決して芳しいものではなかったが、初めて先発として起用された9月8日の中日戦(ナゴヤドーム)では5回1失点と好投をして首脳陣にアピールした。
「社会人のときは先発だったのでやってみたいという気持ちはありました。すごく緊張してもう無我夢中でしたね。とにかくバッターに考えさせないようにテンポよく投げていきました」
強いストレートを意識させ、同じ軌道から繰り出される変化球。齋藤はいわゆる“ピッチトンネル”を駆使し、中日打線を抑えきった。
だが反省点も多いシーズンだった。デビューからチームに帯同して約1カ月半後の8月後半、齋藤は疲労から下半身の踏ん張りが効かず、2試合で9失点してしまい完全に自分を見失った。ファーム行きを宣告されたときの木塚敦志ピッチングコーチの言葉が、今も胸に刻まれている。