酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
水島新司、佐々木信也、名実況アナ。
ぜひ「野球文化人」にも殿堂を!
posted2020/01/20 11:30
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kazuya Akita/AFLO
東京ドームの一角にある野球殿堂博物館は、野球好きなら一度は足を踏み入れる価値のある施設だ。様々な展示がされているが、その奥に「野球殿堂」がある。
1872年に日本に野球が伝えられてからおよそ150年、日本野球をナショナルパスタイムにした偉大なる先人たちが、レリーフとなって飾られている。
今のレリーフは、学士会館の「日本野球発祥の地モニュメント」を制作した彫刻家の松田光司さんが手掛けている。
殿堂には約200人の野球人が顕彰されている。沢村栄治、スタルヒンから川上哲治、長嶋茂雄、野村克也、王貞治、そして近くは立浪和義、松井秀喜、金本知憲まで。一世を風靡した大選手たちがレリーフになっている。野球選手と生まれたからには「野球殿堂入り」は生涯の目標ではあろう。
さらに野球殿堂には、ルールを整備した人、多くの優秀な選手を育てた指導者、野球道具を開発、普及した人、などなど野球選手以外の功労者も名前を連ねている。これらの人は野球殿堂の「特別表彰」というカテゴリーで顕彰される。
正岡子規、名解説者、記録の神様。
そこには意外な名前もある。
2002年には俳人・正岡子規が殿堂入り。子規は草創期の開成学校(のちの東京大学)の野球選手だったが、そのことよりも「野球を愛した明治の俳人・歌人」として殿堂入りした。
「今やかの 三つのベースに人満ちて そぞろに胸のうちさわぐかな」などの短歌を残している。
1971年表彰の小西得郎は1950年、松竹ロビンス優勝時の監督だが、それ以上に「なんともうしましょうか」の名調子で知られる野球解説者だった。捕手の股間にボールが当たった時に「ご婦人にはわからない痛さですね」と話して、顰蹙を買ったこともある。
また1985年の山内以九士は、プロ野球記録を整備した。野球が「記録のスポーツ」として広く親しまれる礎を作って「記録の神様」と言われた。「代打サヨナラ満塁ホームランつり銭なし」は、山内のネーミングだ。
そう、野球は選手や指導者だけで人気スポーツになったわけではない。野球を愛し、その魅力を伝える仕事で偉大な功績を残した人たちがいて、はじめて野球は「ナショナルパスタイム」になったのだ。