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水島新司、佐々木信也、名実況アナ。
ぜひ「野球文化人」にも殿堂を!

posted2020/01/20 11:30

 
水島新司、佐々木信也、名実況アナ。ぜひ「野球文化人」にも殿堂を!<Number Web> photograph by Kazuya Akita/AFLO

『ドカベン』に『あぶさん』……水島新司先生の野球漫画をむさぼるように読み、野球好きになった人も多いだろう。(2007年6月撮影)

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Kazuya Akita/AFLO

 東京ドームの一角にある野球殿堂博物館は、野球好きなら一度は足を踏み入れる価値のある施設だ。様々な展示がされているが、その奥に「野球殿堂」がある。

 1872年に日本に野球が伝えられてからおよそ150年、日本野球をナショナルパスタイムにした偉大なる先人たちが、レリーフとなって飾られている。

 今のレリーフは、学士会館の「日本野球発祥の地モニュメント」を制作した彫刻家の松田光司さんが手掛けている。

 殿堂には約200人の野球人が顕彰されている。沢村栄治、スタルヒンから川上哲治、長嶋茂雄、野村克也、王貞治、そして近くは立浪和義、松井秀喜、金本知憲まで。一世を風靡した大選手たちがレリーフになっている。野球選手と生まれたからには「野球殿堂入り」は生涯の目標ではあろう。

 さらに野球殿堂には、ルールを整備した人、多くの優秀な選手を育てた指導者、野球道具を開発、普及した人、などなど野球選手以外の功労者も名前を連ねている。これらの人は野球殿堂の「特別表彰」というカテゴリーで顕彰される。

正岡子規、名解説者、記録の神様。

 そこには意外な名前もある。

 2002年には俳人・正岡子規が殿堂入り。子規は草創期の開成学校(のちの東京大学)の野球選手だったが、そのことよりも「野球を愛した明治の俳人・歌人」として殿堂入りした。

「今やかの 三つのベースに人満ちて そぞろに胸のうちさわぐかな」などの短歌を残している。

 1971年表彰の小西得郎は1950年、松竹ロビンス優勝時の監督だが、それ以上に「なんともうしましょうか」の名調子で知られる野球解説者だった。捕手の股間にボールが当たった時に「ご婦人にはわからない痛さですね」と話して、顰蹙を買ったこともある。

 また1985年の山内以九士は、プロ野球記録を整備した。野球が「記録のスポーツ」として広く親しまれる礎を作って「記録の神様」と言われた。「代打サヨナラ満塁ホームランつり銭なし」は、山内のネーミングだ。

 そう、野球は選手や指導者だけで人気スポーツになったわけではない。野球を愛し、その魅力を伝える仕事で偉大な功績を残した人たちがいて、はじめて野球は「ナショナルパスタイム」になったのだ。

【次ページ】 一昨年から水島新司が特別表彰候補。

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