才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
ソチで涙の棄権欠場を経験した
伊藤みきがそれでも前向きな理由。
posted2020/01/15 11:00
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Yuki Suenaga
彼女といえば、ソチ大会の2カ月前に膝を負傷。出場続行を表明したものの、予選直前の公式練習中に再び膝を痛め、無念の棄権欠場となったことを覚えている人も多いだろう。
「うまくいかないからといって、金メダルを獲るという目標を変えるのは嫌だった」
ソチ大会への出場を表明した記者会見でこう語った伊藤は、どんな結果に終わろうとも挑戦することで見える景色があると知っている。
私にとってオリンピックといえばトリノなのですが、皆さんの記憶に残っているのはソチでしょうね。
3歳の頃からスキー板を履き、8歳からモーグル競技を始めました。子供の頃は長野オリンピックを見て、自分も出場したいと思いましたが、まさか本当に将来オリンピックを目指せるようになるとは思っていませんでした。同じ競技をしていた姉にずっと負けていたこともあって、自分は2番手だと思っていましたし、全然うまくいかないな、全然ダメだなと、ただひたすらに練習をしていた日々でした。それがトリノ前のシーズンだけ、本当に色々なことが重なって、初めてナショナルチームのトップチームに入れたんです。
それまでジュニアチームには入っていたのですが、合宿は2~3カ月に1回ある程度。ところが、トップチームは毎月合宿があって、1年中雪の上にいるような状態。生活もガラリと変わって、あの頃はお兄さん、お姉さん方についていくのに必死で、ひとつずつ目の前のことをこなしていたら、気づいたときにはオリンピックに出られることになっていた、という感じでした。
トリノで学んだ「オリンピック」。
だからオリンピックに対する気負いはあまりなくて、無事に予選を突破して、決勝に進むことができました。ところが決勝の舞台に立ったら、いつもワールドカップで戦っている選手たちの目の色が違うんですよ。それを見て「オリンピックでは何か特別なことをしなくちゃいけないんじゃないか」と急に我に返っちゃった。典型的なミスをする人の発想ですよね(笑)。結局その空気に飲まれて、自分の滑りができなくて、20位に終わりました。そこで「オリンピックってこういうことなんだな」って、すごく学べたんです。
この大会で優勝したのが、カナダのジェニファー・ハイル選手。いつも一緒に練習をしていたチームメイトでした。目の前で彼女がゴールドメダリストになって、人生が変わる瞬間を見た。それまではオリンピアンになれたことで、私の人生は変わったと思っていたのですが、私も金メダルをとって、彼女みたいになりたいという目標ができました。
その年、大学に進学して同じクラスにいたのが安藤美姫さん。彼女のことはもちろんみんな知っているのですが、逆に私のことなんて、オリンピアンということどころか名前も知らないんですよ(笑)。なるほど、こういうことが起こるのかって、ちょっと凹みましたけど、だからこそ、やっぱり次は世界一になりたい、そのためには、勉学も含めて、一つずつこなしていかないと、という思いが強くなりました。そうやって、自分を見つめなおして、取り組む事が出来るのも、スポーツの良さだと思うんです。