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高校で県大会2回戦止まりが怪物に。
小酒部泰暉が神大バスケ部で覚醒。
text by
青木美帆Miho Awokie
photograph byMiho Aoki
posted2019/12/09 11:40
多くの有望株が台頭してきている日本バスケ界にあっても、小酒部泰暉のキャリアは異端と言えるだろう。
びっくりするようなミスと超絶プレー。
「あっ、あの子だ!」
2016年の春、神大ヘッドコーチをつとめる幸嶋謙二は確信めいたものを感じたという。
神奈川県高校春季大会の1回戦。小酒部が所属する県立山北高校は桐光学園高校と対戦した。
桐光学園は、中学時代に県選抜で全国制覇を果たした選手がそろう超強豪。山北高校はダブルスコアで大敗したが、幸嶋は183センチほどの身長で果敢にダンクを決め、打点の高いジャンプシュートを打つ小酒部に大きな可能性を感じた。
6月の引退を待って話をしてみると、小酒部はもともと神大に指定校推薦で進むつもりでいたのだという。ただ、部活に入るという選択肢は考えていなかった。
彼を2回ほど練習に参加させ、確信が実感に変わった幸嶋が「ぜひうちのチームでプレーしてほしい」と誘うと、小酒部は2つ返事でそれに応じた。将来の自分を「たぶん銀行員」ととらえていた少年の運命が変わった瞬間だった。
幸嶋は懐かしそうに振り返る。
「入学したころのあいつは、ただがむしゃらでしたね。びっくりするようなミスも多かったんですが、逆に、びっくりするようなすごいプレーもするんですよ。入学する直前の練習で、外れたシュートに思いっきりリバウンドに飛び込んで、そのままダンクした。『あれ、こんなにすごかったっけ?』と、いきなり驚かされました」
「2番として日本のトップになれる」
小酒部も「あの時は自分の力を出そうと思って、思い切り全力でやっていました」と述懐した。
身体能力とボールへの嗅覚、シュートタッチは誰もが目を見張るものを持っていたが、ワンマンチームで育ってきた小酒部は、チームプレーのセオリーをほとんど持っていなかった。そのため、「2番(シューティングガード)として日本のトッププレーヤーになれる素材」と見立てた幸嶋は、段階を踏んで小酒部を育てようと考えた。
まずは、ドライブからのストップジャンプシュートの一辺倒だったオフェンスのバリエーションを増やすため、それを制限。「ドライブを仕掛けたらレイアップシュートまで行ききれ」と課題を与えると、瞬く間にドライブとシュートの技術が向上していた。
ディフェンスも、ポジショニングなど基本中の基本から教え込んだ。すると、元々備えていた脚力と長い腕が噛み合い、エースキラーの役割も遂行できるレベルまで成長した。
「まずはバスケットを覚えさせよう」という考えから、ウエイトトレーニングを開始させたのも2年生になってから。秋のリーグ戦ではすでに周囲の目を引く存在になっていたが、練習中は上級生の力を借りて、能力で押し切ろうとするときはわざとファールでプレーを止め、戦術に基づいて攻める意識を染み込ませた。