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石川遼が11年前の日本オープン回想。
「ドライバーが上手かった(笑)」 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byYoichi Katsuragawa

posted2019/10/16 11:30

石川遼が11年前の日本オープン回想。「ドライバーが上手かった(笑)」<Number Web> photograph by Yoichi Katsuragawa

11年前と同じ福岡県の古賀ゴルフ・クラブで開催される日本オープン。大会史上最高額の賞金総額2億1000万円、長期シード(5年間)がかかる大一番である。

「あのときは、結果を気にしていなかった」

 そして日本オープンは今年、当時以来の古賀GCでの開催を迎える。

「結構、あの試合は今でも覚えていることは多くて。最終日の朝、ドライバーを打ってからちょっと休憩した。すげえ緊張して、アドレナリンもすごく出ていたはず。だから、いったん上がったものを、その場で落としたんです」と記憶を手繰り寄せる石川。プロ転向したルーキーイヤー。5月に入って4試合連続の予選落ちを喫しながら、夏場には翌年の賞金シードを確定させていた。

 日本ゴルフ協会(JGA)主催のナショナルオープン出場となれば、どの選手にも力が入る。独特の雰囲気を知りながらも、彼はただ自分のプランに忠実だった。

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「あのときは、そんなに結果を気にしていなかったんですよね。日本オープンに向けた目標とか基準……思いなんかを持っていなかった。10代の選手は『日本オープンに出て、こうありたい』という気持ちもあると思うけど、当時の僕はそういうことを考えていなかった。ドライバーは練習場と同じ、平らな状況(ライ)からティアップして打てる。それができるかどうかを常に意識していた」

 周囲の視線はどこ吹く風。内心は将来を見据えた“イチ試合”に過ぎなかった。だから「結果を出しにいきたくなっていたら、僕もドライバーは持たなかったと思う」という想像が、いまは頭に浮かぶ。

立場が変わると攻め方も変わる?

 そこへ来ると、11年が経ち、環境にも心境にも変化があるのは言うまでもない。立場はひとりのルーキーからツアーのリーダーに変わり、期待でいっぱいだった胸には、海の向こうでの失望感も居座るようになった。ナショナルタイトルがかかる大会はもう、“イチ試合”というわけにもいかない。

 8月のオープンウィークの最中、石川は古賀GCに足を運び、プライベートで練習ラウンドを行った。11年前にバッグを預けた女性ハウスキャディにもあいさつをして。コースは今大会に合わせて細かい改修も行い、JGAのセッティングにも数年前から変化があるため、'08年大会と比べてフェアウェイも広く設定されそうだ。

 久々に18ホールを回って言った。「ドライバーを(バッグから)抜いたら結構、長い気がする。片山さんはあの時、1打目が3ウッド、2打目も3ウッドというホールがあったのでは。そこからが上手かったんでしょうね。そう考えると、自分にはそんな技術はなかった。結果的には当時の自分がスコアを出すために一番良い選択がドライバーだった」と。

【次ページ】 「あの頃はドライバーが上手かった(笑)」

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