「谷間の世代」と呼ばれて。BACK NUMBER
「まだまだ谷間の世代は終わらない」
阿部勇樹38歳、笑顔で語れる理由。
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byYuki Suenaga
posted2019/10/10 11:30
優しい瞳の奥に備えた戦術眼。南アフリカW杯、ジェフ、レッズで輝いた阿部勇樹は今もなおJ1のピッチに立つ。
岡田監督からアンカーとしての期待。
すると、ワールドカップ開幕直前の土壇場で、思わぬ追い風が吹き始める。と同時に、阿部の心のなかには、これまでにない強い意志が芽生えていく。
「そのキャンプのあたりから戦術が変わっていったんです。僕からしたら、今までそんなに(出場の)チャンスがあるわけじゃなかったなかで、それがラストチャンスでした。『これはもう、すべてを出し切って、絶対にものにしなきゃダメだ』っていうモチベーションでやりました」
日本は、ワールドカップ前に国内で行われた親善試合で完敗が続くと、「中心選手の不調があって、システム変更を決断した」(岡田監督)。それまでの4-2-3-1から4-1-4-1へと布陣が変わるなかで、ディフェンスを安定させるべく、中盤の底にアンカーとして置かれたのが、阿部だった。
「与えられた役割は結構シンプルで、岡田監督が丁寧に『ここでこうしてほしい。(阿部が)ここにいるから(チームが)安心できるんだよ』と説明してくれたので、僕としては深く考えすぎることなく、まず何を意識しなければいけないのかが、すごくクリアになった状態でプレーできました」
同世代とやれるのはうれしかった。
そして阿部は、グループリーグ初戦から決勝トーナメント1回戦までの全4試合、すべてに先発出場。チームも低い下馬評を覆し、2大会ぶりのベスト16進出を遂げた。
「やれることはやれたかなと思います」
ようやくたどり着いたワールドカップをそう振り返る阿部の様子には、すでに9年以上が経った今でも、ほのかな充実感が漂う。
ただし、その感情は、自身の出来やチームの結果によるものだけではない。
「(初戦の)選手入場のときは、『オーッ』って高ぶる感じがあった」という夢の舞台で、周りを見渡せば、ともにアテネ五輪を戦った同世代、闘莉王、松井大輔、駒野友一、大久保嘉人が同じピッチに立っていた。
「昔から知っていて、一緒に戦ってきたメンバーと、こういう舞台でやれるっていうのはうれしかったですね」
最後の試合となったパラグアイ戦で、PK戦の末に敗れたときには、だから自然と体が動いた。
両チームともひとりも外すことなく迎えた、日本3人目のキッカーは駒野。しかし、駒野の右足から放たれた強烈なシュートは、クロスバーを直撃した。
「もちろん、PKを外したときの気持ちも分かるし、こんな舞台で蹴ったこともすごい。ずっと一緒に戦ってきた仲間が、ああいう状況になったとき、ひとりで背負い込むんじゃなくて、少しでも気持ちが楽になればな、と。まあ、直後だったから難しかったとは思いますけど……」
81分に中村憲剛との交代で退き、ベンチ前でその瞬間を見ていた阿部は、気づけば、泣き崩れる駒野の元へと向かっていた。すると、同じくベンチ前にいたはずの松井もまた、阿部と歩みをともにしていた。
「別に、大輔に『行こうぜ』って言ったわけでもないんです。でも、一緒にいた。だから、偶然って言ったら偶然なのかもしれないけど、たぶん何かを感じ取って、あの3人が揃ったんじゃないかなと思います」