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丸山城志郎が貫いた自分の柔道。
66kg級は「阿部一強」ではない。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byNaoki Nishimura/AFLO SPORT
posted2019/08/27 11:50
井上監督が「世界最高峰」と評した男子66kg級。決勝戦で韓国代表のキム・インファンを破って優勝を決めた瞬間の丸山城志郎。
“遅咲き”の転機は膝の怪我。
阿部との一戦を振り返りつつ、丸山は言う。
「勝ちたいという気持ちだけでした。自分は負けたら終わりの立場ですから」
東京五輪を意識しての言葉だった。あるいはこうも語った。
「ふつうの選手より、長くかかっているので」
26歳での初出場初優勝だった。相当の遅咲きと言ってよい。
父は元五輪代表の柔道家。丸山も、小学生の頃から全国大会で優勝するなど早々と頭角を現した。でも、伸び悩んだ。
もしかしたら、66kg級の国内上位にいる一選手という位置のまま進む未来もあったかもしれない。自身の転機をこう語る。
「僕自身が変わったのは大学2年生のときの怪我です」
左膝前十字靱帯断裂で約1年半のリハビリ生活を強いられた。
「そこから復帰しても、勝ったり負けたり。悔しい思いをしましたし、でも、チャンピオンになりたいという気持ちが強くなりました」
自分の柔道を貫き通す。
「トップに立ちたい」と思いを新たにしたあと、現れたのが4歳下の阿部だった。丸山は2016年の全日本選抜体重別選手権、2017年のグランドスラム東京それぞれの決勝で敗れた。
遅れを少しでも取り戻すため、「必ず勝つ」と決意して臨んだ2018年のアジア大会でも、銀メダルに終わった。そのときの心境をこう表す。
「人生終わったなっていう気持ちになりました」
柔道がいやになった、とも語る。
そんなとき、母校であり卒業後も練習を積む天理大学の監督、穴井隆将氏にかけられた言葉があった。
「お前の柔道をすればいいじゃないか、結果とか代表とかじゃなく、柔道を貫き通せばいいじゃないか」
それで吹っ切れた。
「結果云々じゃなく、自分の柔道をして、貫き通すだけだという考えになれた。それがよかったなと思います」
練習メニューも見直し、瞬発力に磨きをかけることで持ち味の技の切れなども向上させていった。そうして生まれたのが快進撃だった。