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安美錦「ケガを敵と思わないで」
40歳まで戦い抜けた勇気と寛容さ。
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph byKyodo News
posted2019/08/13 08:00
長年にわたって角界を沸かせ続けた安美錦。その戦いぶりは相撲ファンの記憶に残るだろう。
何度も泣かされた右膝のケガ。
同時に体作りにも本格的に着手。寝床にはおにぎりやパンを常備し、目が覚めるたびにそれらを口に詰め込むなどして、新入幕時は117キロだった体重は最高155キロまでになったが、無理がたたって内臓に支障をきたし、気道が圧迫され呼吸すら困難になったことから無理な増量は断念した。
もはや小兵のイメージは払拭され、押し相撲主体となって三役の常連にもなったが、右膝の古傷には何度となく泣かされることになる。
患部を庇うあまり左膝も負傷するが、それでも土俵に上がり続けた。膝周りを固定するために頑丈な装具を着用し、土俵に上がったのも安美錦が最初だった。
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「あれで右足を下げて残ることは絶対にしないとか、そういう意識が少し減って、もうちょっと伸び伸び取れるようになった。それまではこわごわ動いていたので、そういう点では大きかったと思う」
最大のピンチはアキレス腱断裂。
今では膝に装具をつけている力士も珍しくなくなったが、その先鞭をつけたのは安美錦であった。おかげで力士寿命が延びたのは間違いないが、平成28年夏場所2日目の栃ノ心戦で左アキレス腱断裂という、力士生命最大のピンチに見舞われてしまう。
年齢的にも引退を決断してもやむを得ないケースだったが、平成29年九州場所では39歳0カ月という昭和以降、最高齢で入幕を果たすとこの場所で見事、敢闘賞を受賞する活躍ぶりで劇的な復活を遂げた。
「ケガを敵と思わないで、何か原因があると考えてそこを直してプラスにしていければ」と悲劇と思われる事態に直面しても正面から向き合い、それまでのスタイルに決して固執することなく新たな武器を築き上げてきた。
業師と言われたころは相手によって相撲を緻密に練り上げて臨んでいたが、現役後半は立ち合いで思い切り当たって、あとは体の反応に任せるというシンプルな形に行き着いた。