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佐々木朗希のいない決勝戦。
選手たちは納得していたのか。 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byAsami Enomoto

posted2019/07/26 11:55

佐々木朗希のいない決勝戦。選手たちは納得していたのか。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

ベンチから試合をじっと見ていた佐々木朗希。この顛末の決着がつくのはずっと先の話になるだろう。

大船渡のスタンドから飛んだ怒声。

 国保監督は盛岡一高から筑波大を卒業後、1年間、岩手で働いてからアメリカ独立リーグで野球をしたという。その2010年、オレンジカウンティというチームとの試合で、かつてカブスでサイ・ヤング賞候補になりながら、肘の故障に苦しんだ右腕マーク・プライアーと対戦したという。

「まだ若々しく見えた中で、オールスターに出たような投手がこのステージにいるんだ。投手、才能については何とかしなければならないなと思いました。彼と対戦してからです」

 その時に肌で感じたものが指導者としての信念になり、佐々木という才能に出会い、この大きな決断につながったという。

「甲子園に行きたっちゃねーのか!」

 報道陣の質問に答える国保監督の頭上に、大船渡側のスタンドから怒声が飛んだ。

 投げさせるべきか、否か。判断基準はどこにあるのか。何球ならば安全なのか。気温が何度ならば危険なのか。この試合を見た誰もがスタンドで、テレビの前で、携帯電話の前で頭をめぐらせたのではないだろうか。

 4回戦以降は5日間で4試合という大会日程が変わらない限り、この煩悶は続く。複数の投手をそろえることが難しい公立校はなおさらだ。

8秒間の沈黙の末に絞り出した一言。

 ただ、いくら考えたところで基準はないように思う。壊れるか、壊れないか。監督が言うように未来のことなんてわからないのだから。

 その中で唯一、この決断を測る物差しがあるとすれば、それは選手たちの胸の内である。

 そもそも佐々木は「この仲間と甲子園に行きたい」という理由で強豪私立の誘いを断って、地元の県立校に進んだ。その佐々木と、彼と一緒に甲子園を目指そうと集まった仲間たち。彼らが納得していれば、もはや外野がとやかくいう問題ではない。この決勝は、汗を流してここまでたどり着いた彼らのものなのだから。

 だが試合後、佐々木の表情は神妙だった。

 登板しなかったことについてどう思うか。

 そう問われると、およそ8秒間沈黙した後に「監督の判断なので……」と声を絞り出した。

 投げられる感覚はあったのか、という問いには「はい」と答えている。

 偽らざる本音だろう。決勝進出を果たした前日の会見では「ここで負けたら1回戦で負けるのと同じ」と語り、自らの投球で甲子園を決めに行く覚悟を感じさせていたのだから。

【次ページ】 最初は声を張り上げていたが……。

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