One story of the fieldBACK NUMBER
佐々木朗希のいない決勝戦。
選手たちは納得していたのか。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byAsami Enomoto
posted2019/07/26 11:55
ベンチから試合をじっと見ていた佐々木朗希。この顛末の決着がつくのはずっと先の話になるだろう。
最初は声を張り上げていたが……。
この日、序盤は声を張り上げ、ベンチのムードをつくり盛り上げていたが、10点差となり、残りイニングが少なってきた終盤からは言葉も少なくなり、最後は何かを考え込むようにじっとベンチの一番奥に座っていた。敗戦後には整列した仲間たちの嗚咽を聞きながら、こみ上げるものを堪えているようだった。涙もろい彼が思い切り泣けなかったのは、なぜだったのか。
試合後、レギュラーの中には「朗希が投げないというのは予想できませんでした。投げていればいい勝負ができたという思いはあります。自分たちのベストの力を出せていれば……、という思いも少しはあります」と複雑な表情で語った選手もいた。
そして、今大会初登板が決勝での先発となった右サイドハンドの柴田貴広は「自分が先発するということは朗希を休ませたいということだと思いました。朗希が甲子園でいいパフォーマンスをするためにも自分が抑えようと思いました。朗希と3年間やれたのはすごく大きくて……」と語ったところで、涙が止まらなくなってしまった。
「朗希の夢を……、終わらせてしまったんで……、申し訳ないって気持ちが出てきて……」
抱えきれない責任を背負う彼を見ているのが痛々しかった。
監督「そこは僕が引き受けようと思いました」
勝者になれなかったのは仕方ない。ただ、彼らはきちんと敗者になれたのだろうか。敗れた後の彼らの表情や様子が残念でならなかった。
大船渡は練習メニューも、試合の運び方も佐々木を中心として選手たちが考えてきたという。試合中も監督は極力サインを出さず、ともに伴走するスタイルで戦ってきた。そうやって最も難しい自主性を伸ばすことに成功し、決勝にまで導いた国保監督が、なぜ最後の最後で選手たちと話し合うことをしなかったのか。
もし、みんなが頼りにしているエースを投げさせられない事情を監督だけが握っていたのならば、なぜ、それをこれまでと同じように選手たちと分かち合わなかったのだろうか。
「生徒たちにとても大きな、一生心に残るような決断を……、そこは自分で僕が引き受けようと思いました。そこは大人が、と思いました」
選手は監督の決断に納得していたのか。
そう聞かれて、国保監督はしばらく考えた。
「納得……、しているんですかねえ。うーん……、まだ、わからない。何年後になるかわからないですけど……」
おそらくは納得してもらえなくても、という覚悟があったのではないだろうか。