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目立たず不器用だった馬なのに、
米3冠で5着のマスターフェンサー。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2019/06/11 11:15
日本で6戦2勝のマスターフェンサーが、米国の3冠レースで5着に入ったことは評価されるべきだろう。
ベルモントSを視野に入れていた。
デビューから芝では勝てず、ダートに路線を変えた途端に連勝した。
「それでも当初はまだ幼い面があったけど、アメリカに移動してから著しく成長した感じで、どっしりとしてきました」
そう語るのは角田調教師だ。
ケンタッキーダービーは7位入線で繰り上がって6着。勝てはしなかったものの、直線の伸び脚は目をひくものがあり、実際、上がり3ハロンの推定時計は出走馬中最速のものだった。
「日本を発つ時からベルモントSを視野に入れていました」
吉澤氏がそう言うように、ケンタッキーダービーの直後にはベルモントSの挑戦を表明した。
ここで基本的なおさらいをしよう。
アメリカの三冠レースは5月初旬に行われるケンタッキーダービーを皮切りに、その2週間後には2冠目のプリークネスS、さらにその3週間後にラストのベルモントSが開催される。つまりわずか6週間ですべての3冠レースが行われるのだ。
当然、例年のようにサバイバルレースの様相となる。ケンタッキーダービー、プリークネスSと好走した馬がベルモントSで余力なく馬群に沈むシーンも珍しくない。
そのような傾向を受け、陣営は2冠目のプリークネスSにはハナから目もくれず、ダービーの後は中4週ときっちり間を開けて3冠目に出走したのだ。
粗削りで不器用だからこその選択。
また、プリークネスSをパスしてベルモントSに挑んだのは、マスターフェンサー自身の個性を加味していたのも確かだ。
手前(軸脚)を替えるのが下手だったり、スタート後のダッシュが今ひとつだったり、まだまだ粗削りで不器用な面がある。ゆえに小回りのピムリコ競馬場で行われるプリークネスSよりも、大きな競馬場のベルモントパークで開催されるベルモントSを選択。陣営の緻密な計算がそこにはあったのだ。
もっとも、ベルモントパーク競馬場は北米の競馬場としては確かに大きいが、ゴール板はホームストレッチの真ん中あたりに設置されているため、実は最後の直線は長くない。北米の1周1マイルのオーソドックスなコースに比べてもむしろ短いくらいなのだ。
そのあたりがどう出るか? と思われたのだが、やはり“吉”とはならなかった。