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鳥取から世界へ! 人口5万の倉吉が、
クライマーたちの大切な街になった理由。 

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津金壱郎

津金壱郎Ichiro Tsugane

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photograph byIchiro Tsugane

posted2019/05/31 16:00

鳥取から世界へ! 人口5万の倉吉が、クライマーたちの大切な街になった理由。<Number Web> photograph by Ichiro Tsugane

「ボルダリング・ユース日本選手権倉吉大会」の会場となった、倉吉スポーツクライミングセンター。

倉吉の大会で人生が変わった選手。

 今年の大会には43都道府県から、小学6年生から大学生まで361名の選手が出場した。選手のほかに、引率の保護者やコーチ、大会スタッフや関係者などを含めた人数までをも収容できる宿泊施設が倉吉に整っていなければ、この大会は誕生していなかったか、もしくは第1回大会がもっと後年になっていた可能性もある。

 巡り合わせとは不思議なものだ。2015年に第1回大会が開催されたことで、人生を大きく変えた選手がいる。今年がユース最終年でジュニアのカテゴリーで優勝して大会3連覇を飾った中村真緒だ。

「予選と決勝の全課題を完登するという目標を達成しての優勝なのでうれしいですね。でも、ここはまだ通過点。私にとって今年一番の目標が世界ユースでの優勝なので、それを実現できるように、ここからもっと頑張っていきます」

 この大会の優勝によって今年8月にイタリア・アルコで行われる『世界ユース選手権』への出場権を手にした中村が、ボルダリングを始めたのは小学生の頃。中学時代はジム主催のコンペに参加したことはあっても、競技と無縁だった彼女が初めて出場した全国大会が、第1回のボルダリング・ユース日本選手権だった。

「あそこで優勝しちゃうなんて思ってもいなかったですからね。そこから競技にどっぷりはまって、競技のために高校も転校して……。この大会がなかったら私はどんな人生を歩いていたんだろうって、ちょっと考えますよね(笑)」

 選手たちは金曜日の学校が終わってから倉吉に向けて移動し、大会は土日ともに朝8時からスタートする。月曜日にはふたたび学校があり、多くの選手や引率者には名所や温泉をめぐる時間はほとんどない。

 中村も初出場で初優勝した2015年は、初日の予選を通過することを想定していなかったため、すべてのカテゴリーの競技後に行われる表彰式は出ずに、帰京する空路にいた。

「それも含めて、この5年間で倉吉は大切な場所になりました。でも、いつもホテルと体育館の往復だけで観光したことないんですよね。だから、いつの日か隅から隅までしっかりと見て回りたいなって思っています」

【次ページ】 かつては「谷間の世代」と呼ばれたが。

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