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平成の日本人金メダリストが一冊に。
別冊付録の制作で回想したあの選手達。

posted2019/04/30 11:30

 
平成の日本人金メダリストが一冊に。別冊付録の制作で回想したあの選手達。<Number Web> photograph by Ichisei Hiramatsu

Number977号の別冊付録は16ページの大ボリューム。各メダリストの逸話と当時の写真で感動の瞬間が甦ります。

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

PROFILE

photograph by

Ichisei Hiramatsu

 五輪の各大会の印象って一体何によって決まるんだろうなあ。

 発売中のNumber977号「平成五輪秘録」の別冊付録・平成五輪日本人金メダリスト名鑑を作成しているうちにそんなことを考えました。

「そうそう、こんな場面あったよな」と思い出すこともあれば、「あれ、この人金メダル獲ってたんだ」と気づかされることも(失礼)。あとは「五輪といえばあの人!」というような有名選手が名鑑入りを逃していたりすること。つまり金メダルを獲っていない。

 その筆頭格は有森裕子(マラソン)でしょう。1992年バルセロナは銀、'96年アトランタは銅。ただし、そのアトランタで発した「初めて自分で自分を褒めたい」の一言は、ひょっとしたらメダル以上に彼女の人生を変えるものになりました。

 自分で自分を褒めるなんて、それまではあまり使われなかった言い回しではないかと思うけど、“有森以降”は猫も杓子も自分を褒めるようになったのだから後世に与えた影響は絶大。

 今号のインタビューで彼女は五輪のメダルについてこう語っています。

「大事なのはメダルの色ではなくて、鉄の塊をその後の人生でどう輝いたものにしていくか。結局、メダルの価値はその後の生き方で決まるんだろうと思います」

 結果的に彼女はレース直後からそれを実践していたのでした。

「レジェンド」を日本に広めた男。

 冬季五輪でいうと、葛西紀明(スキー・ジャンプ)も名鑑から漏れた1人です。

 '94年リレハンメルの団体戦ではアンカーを務めた原田雅彦の世紀の失速ジャンプで銀、'98年長野でも無念のメンバー落ちで歓喜の輪に加われず。その屈辱を闘志に変えてトップレベルで飛び続け、'14年ソチで冬季五輪の日本人最年長メダルを獲得するわけですが、個人ラージヒルで銀、団体は銅でした。

 とはいえ葛西はその不屈の精神によって、「レジェンド」のニックネームとともに日本中に知られるアスリートに。レジェンドという単語自体は一般名詞で昔からあったわけですが、誰かのことを示す人称代名詞としてここまで広く使われるようになったのは彼の活躍が契機でしょう。

 当初は、超一流の実績を持ち、なおかつ常識的な年齢を越えて現役を続ける選手を指していたはずの言葉。いつしか古参であればOKという認識で乱用され、一時の○○王子ばりにレジェンドが量産される事態にもなりました。

 最近はギャグっぽく呼ぶこともあったりして少しありがたみが薄れている気もしますが、まあそれだけ使いやすいということですね。(そんなことを書いていたら、この名鑑の表紙にもいつのまにかレジェンドの文字が躍っていた!)

【次ページ】 岩崎恭子、北島康介、原田雅彦の名言。

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