セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
イタリア版「あの天才たちは今」。
最高峰セリエAの門はかくも狭い。
posted2019/04/18 11:00
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
AFLO
“春”が終わったとき、彼らはどこへ行くのだろう。
イタリア語で春を意味する「プリマヴェーラ」という単語は、カルチョの世界では育成年代の最終段階にあたるU-19チームを指す言葉として広く知られている。
2月の終わり頃、地元誌をめくっていたら、「プリマヴェーラ王者のその後」という記事に目が留まった。
イタリアのユース年代最後の年に全国の頂点に立った若者たちのその後を追ったもので、日本の野球界で喩えるなら“甲子園で活躍したドラフト上位指名選手の今”といった趣旨だろうか。
エリートでも狭き門のセリエA。
記事には小さな数字が添えられていた。
20、26、47、27。
過去10年、イタリアのユースリーグ年間王者を決めるプレーオフ決勝戦に出場した選手は162人いる。
エリート中のエリートだった彼らのうち、今季、セリエAクラブに選手登録されている者が20人。10年間で20人だ。同様にセリエB(2部)には26人、セリエC(3部)では47人がプレーしている。
もちろん優勝できなかった人間や外国人選手を合わせた分母の方が圧倒的に多いのだから、ユース年代で全国制覇したセリエAプレーヤーが少なくても理解できるが、生存競争はかくも厳しいものかとあらためて考えさせられた。
「プリマヴェーラで優勝した後、イタリア代表としてU-20W杯にも行きました。セリエAデビューまで自分にはレールが敷かれている、と思っていた。正直なめていました」
現在、3部ポルデノーネでプレーしているMFミズラーカはちょうど10年前、パレルモ・ユースで同年代の頂点に立った。優勝した後、外国人偏重のトップチームに居場所はなかったことと「目先の金に目がくらんで」ヴィチェンツァ(当時セリエB)からの誘いにのった。
「プロの世界に慣れるのに苦労しました。プリマヴェーラでやっていたのは、気の合うチームメイトたちと友情で結ばれていたサッカー。でもプロの世界には、僕のパンを掠め取る(=ポジションを奪う)ためならどんな悪どいことも平気でやれる人間が同じロッカールームに12、3人いる」