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サートゥルナーリアで凱旋門賞を!
ウオッカを育てた角居師の大挑戦。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byKeiji Ishikawa
posted2019/04/16 17:00
ヴェロックス、ダノンキングリーと横一線となったゴール前だったが、サートゥルナーリアが1枚上手だった。
ウオッカのダービー制覇の価値。
今回の皐月賞の僅か2週間前。4月1日に蹄葉炎で死亡したこの名牝は、2006年に2歳馬としてデビュー。阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)を制し2歳女王となった。
クラシック初戦の桜花賞では後にライバルとして数々の名勝負を演じる事になるダイワスカーレットの後塵を拝する2着。ところがここで角居師は思いもよらないウルトラCを実行に移す。
ウオッカを日本ダービーに出走させると発表したのだ。
桜花賞を制し、牝馬に敵無しとなった事で牡馬に挑ませるというのならまだ分かる。しかし、角居師の決断はそうではなかった。桜の女王になれなかったにも関わらず、牡馬相手に頂点を目指すという判断には、当時、驚かされたものだ。
ところが本当の意味で驚かされたのはこの後だった。日本ダービーに出走したウオッカは、秋には菊花賞を制することになるアサクサキングスに、なんと3馬身の差をつけて圧勝。牝馬としては実に64年ぶりとなる日本ダービー制覇の偉業を成し遂げてみせた。
いや、確かに64年ぶりの偉業ではあるのだが、半世紀以上前の競馬といえば、現在とはまるで別物であることは明確だ。そういう意味で、角居師の達成した偉業は、現代競馬史上初の牝馬による日本ダービー制覇と言っても過言ではないだろう。
シーザリオでアメリカGI制覇。
思えば、伯楽が樹立してきた偉業には枚挙にいとまがない。
2001年に開業すると、4年後の'05年には初の海外遠征を敢行。オークスを勝ったシーザリオをアメリカへ連れて行き、アメリカンオークス(アメリカ・GI)を優勝した。日本調教馬によるアメリカでのGI制覇はこれが史上初めての事だった。
その翌'06年、今度は場所を南半球にかえて角居師はまたも競馬ファンをアッと言わせる。
今度はデルタブルースとポップロックの2頭をオーストラリア、メルボルンへ送り込む。両頭はコーフィールドC(オーストラリア・GI)でひと叩きをすると、続くメルボルンC(オーストラリア・GI)ではなんと2頭でゴール前の激しい叩き合いを演じ、結果はワンツーフィニッシュ。南半球最大のレースで誰もが驚く結果を残した。
そして牝馬ウオッカによる日本ダービー制覇が'07年のこと。同馬はその後、秋の天皇賞やジャパンC、安田記念を連覇するなど、引退するまでに7つのGIを優勝してみせた。