球道雑記BACK NUMBER
俊足だけど「僕、運動神経悪い」。
ロッテ加藤翔平は早生まれの希望。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byKyodo News
posted2019/03/12 07:00
果敢に次の塁を狙う加藤翔平は、井口監督としても積極的に起用していきたい選手のはずだ。
学校帰りに電柱間を走る毎日。
小学校入学を迎えて、医者からようやく「運動OK」のサインが出た。
体育の授業こそ休みがちだったが、両親譲りの負けず嫌いの本能に火がついたか、これを境に、駆け足も少しずつ走れるようになっていく。
「人が前を走っていると毎回、腹を立てて走っていました(笑)。それくらい僕は負けず嫌いだったんだと思います。両親に『どうやったら足が速くなるの?』と聞いたこともありました。すると『学校帰りに電柱と電柱の間を走ってみれば?』と話してくれた。それを毎日、学校からの帰り道で実践したんです。
電柱から電柱まで走って、次の電柱間は一度歩いて、その次の電柱で走りだす、みたいな感じで繰り返したんです。でも、ひとりでそんな風に走っているんですから、周りが見たらさぞかし変な子供に映っていたでしょうね。でも、それが大きな転機になったのかなと思います」
それが俊足・加藤翔平のスタートの瞬間だった。
春日部東高校で現した頭角。
小学2年生から始めた野球との出会いも、身体能力を高める要因になった。中学校では、地元の硬式野球チーム・加須シニアに入団。中3時に任されたポジションは9番セカンドで、強豪校から誘われるレベルではなかった。しかし春日部東高へ進学後、加藤はめきめきと野球でも頭角を現すようになっていく。
「あの高校に行ってなかったら、今の自分はなかったですし、プロ野球選手にもなっていなかったと思います。監督(中野春樹氏)やコーチに出会えたからこそ両打ちに挑戦させてもらえました。春日部東はそこまで弱い学校ではなかったですけど、強い私立校に行っていたら、3年間で芽が出なかった可能性もあると思うんです。
高校で早くから試合に出させてもらったことが、自分にとって大学、そしてプロと、その後にも繋がったんだと思います。野球をずっと続けてこれたきっかけにもなったのかなって思いますね」
小・中時代は体力で周囲に敵わなくても、高校、大学と進学するにつれて徐々に追いついていく。そうした話はよく聞く。