松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
修造が羨む、パラ・パワーリフター
大堂秀樹の競技者向きメンタル。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/03/12 10:30
どんな時でもわが道を行く、とんでもなく前向きな思考の大堂に、松岡も脱帽!
一流アスリートならではの「鈍感力」。
我関せず――。とにかく今の自分にとってベストの結果を出すために全力を尽くす。大堂さんは、一流のアスリートが持っている「鈍感力」をしっかり持っているようだ。
松岡「その時のケガは、具体的にどこを痛めていたんですか」
大堂「二頭筋の腱の脱臼です。試合中、上げる瞬間にゴリゴリってすごい音がして、190kgを上げたんですけど、翌日からはもう手がブランブランして上がらない。肘から先しか動かなかったから、ご飯を食べるのも大変でした」
松岡「それがいつのことですか?」
大堂「2015年の11月」
松岡「じゃあ、リオの10カ月前。けっこう直前じゃないですか」
大堂「すぐに治ると思っていたんですけどね。病院に行ってレントゲンも撮ったけど、まあ大丈夫と言われて。実は二頭筋長頭腱の脱臼で、本来は手術案件だったらしいです。だからリオから帰ってきてすぐ手術をしました。行く前に知っていたら……出場を見合わせていたかもしれません」
松岡「よくリオで試合ができましたね」
大堂「こんなに力が出ないもんかなという感じでしたけど。痛み止めで散らせて、最後まで本当の状態は知らずに」
松岡「結果的にリオに出場して、一番の経験としては何を得たんでしょう」
大堂「日本へ帰ってきて手術をして、これまでだったらすぐにトレーニングに入りたい、練習したいと思っていたはずなんです。でも今は、ちょっとでもケガをしたらまず治そう。しっかり治してからと思えるようになりました。トレーニングをしながら治すのではなくて、治るのを待ってからやれば良いと。そこは大きく変わりましたね」
松岡「早くはないけど、気づいてくれて良かったです(笑)。痛い思いがちゃんと経験になったということですね」
大堂「気づけてよかったです(笑)」
リオ大会での8位入賞は、満身創痍の中で、状況を冷静に見極め、狙って獲得したものだった。ケガで失ったものはもちろんあるだろう。でも、得たものをポジティブに捉える力を、大堂さんは持っていた。それが、2020年に向けての大きな原動力となっている。
(第四回に続く……/構成・小堀隆司)