松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER

修造が羨む、パラ・パワーリフター
大堂秀樹の競技者向きメンタル。

posted2019/03/12 10:30

 
修造が羨む、パラ・パワーリフター大堂秀樹の競技者向きメンタル。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

どんな時でもわが道を行く、とんでもなく前向きな思考の大堂に、松岡も脱帽!

text by

松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

PROFILE

photograph by

Yuki Suenaga

 松岡修造が、パラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。パラ・パワーリフティングでパラリンピック3大会連続出場し、日本を代表するパワーリフターの1人である大堂秀樹さん。

 バイク事故で車椅子生活を送り始めた矢先、腕相撲で完敗を喫した相手がパラ・パワーリフティングで世界2位になった高橋省吾さんだったことが、すべての始まりだった。高橋さんを追いかけ、いつか負かしたい……。そのシンプルな思いが、新しい人生を切り開く原動力となった。

「自分を信じること」

松岡「話を聞いていると、すごく精神面に左右されるスポーツにも思えます。バーベルを上げる瞬間に、一番大事なことって何ですか」

大堂「自分を信じること。やってきたことを信じること。上がると信じること。上がらないと欠片でも思ったら上がらないです」

松岡「即答ですね。いい言葉だなあ……。これだけいい言葉を聞いてなんなんですけど、僕は初めてですよ、アスリートの方から『コーラと赤いきつね』が大好きって聞いたのは(笑)」

大堂「ハハハ。前にも言いましたけど、それも大事なルーティンの1つなんです。ダメなんですよ、欠けたら」

松岡「でもね、信じることほど難しいことってないじゃないですか。秀樹さんにとって、信じるとは?」

大堂「信じるとは? 禅問答みたいですね」

松岡「すごく難しい質問をしていると思います。おそらく秀樹さんはこういう考え方をしない方だと思うから、あえて聞いてみたいんです。自分を信じるために、信じないことはすべて排除していくわけじゃないですか。最終的に信じられた時って、どんな風に自分を思えるのかなって」

大堂秀樹(おおどう・ひでき)

1974年10月17日愛知県名古屋市生まれ。18歳の時にバイク事故で脊髄を損傷し、車椅子生活に。3年後にパワーリフティングを競技としてはじめ、2008年北京(75kg級8位)、2012年ロンドン(82.5kg級6位)、2016年リオ(88kg級8位)と3大会連続でパラリンピックで入賞。2018年9月に北九州市で開催されたアジア・オセアニアオープン選手権(88kg級)で同大会日本人唯一の銅メダルを獲得。SMBC日興証券所属。

【次ページ】 みんなが笑い転げた、その返答。

1 2 3 4 NEXT

この記事にコメントする

利用規約を遵守の上、ご投稿ください。

大堂秀樹
松岡修造
東京パラリンピック
オリンピック・パラリンピック

他競技の前後のコラム

ページトップ