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選手から監督へ。
プロ野球・松井稼頭央の新たなる挑戦。

posted2019/03/13 13:30

 
選手から監督へ。プロ野球・松井稼頭央の新たなる挑戦。<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

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Kiichi Matsumoto

 プロへの入団で野手へと転向したときも、2015年に内野手から外野手へとコンバートしたときも、果敢に取り組み、自らのポジションを築いてきた松井稼頭央。昨年、25年の現役生活に幕を下ろし、今シーズンより埼玉西武ライオンズの2軍監督として、新たなスタートを切った。

 いずれは監督をしたいという気持ちはありましたけど、僕のなかではもっとずっと先のことだと考えていました。監督というのは色々な経験をされて、技術の見方や言葉など、すべてを兼ね備えた方がなるものだと感じていたので、もっと段階を踏んでそこに行くのかなと思っていたんです。でも球団が僕のことをそこまで考えていてくれて、こういうチャンスをいただけることもなかなかないので決断をしました。

 決まってからは、自分が描いている以上に物事の進むスピードが早くて。僕はこれから監督として必要な経験や勉強をどんどん積んでいかないといけないし、若い選手を育成するとともに、僕自身も成長していく必要がある。そのためのひとつとして本もすごく読むようになりました。簡潔に短く、伝えたいことを話す技術とか、本から学ぶところは多いですね。

 ただ、今の僕がひとつ若い選手に伝えられるとしたら、若い今の時期にしっかりと練習をしておくことが大切だということ。若い時にどれだけ体に染み込ませられるか、逆に頭で考えたことをどうやって体に覚えさせるか、若い時にどれだけ野球のことを考えられるか。それにはやっぱり練習しかない。その価値は若い頃には分からないですよ。でも、年を取った時に無駄ではなかったことに気がつくはず。30歳を超えて、体力などが落ちてきたときに、若い頃から培ってきた貯金がどれだけあるかは、すごく大事になってきますから。

可能性を広げるために未知の世界へ。

 今回選手から監督になりましたが、それ以前にも立場が変わったり、決断する難しさを感じたことはありました。

 一番感じたのは楽天のとき。ショートからサードに移って、このままショートをやったり、サードをやったり、と続けていても先が見えているな、ここじゃ何も変わらないって感じたんです。あと何年野球が続けられるか分からないなかで、自分の可能性を広げるなら、未知の世界である外野に飛び込んでいくしかないと思った。もしかしたら失敗するかもしれないけど、このまま内野にいても選手寿命が同じなら、あえて新しいことに挑戦したい。そこで頑張ればもしかしたら選手寿命も伸びるのではないかという期待もあって、自ら「外野に行きます」と言いました。

 西武でも必要とされる場面で使ってもらえるなら、代走でもいいと思っていました。昨年もほとんど試合に出ていないのに、1軍に置いてくれて。そのチームのために僕に何ができるかと言ったら、代走であったり、兼任のテクニカルコーチだったり、できることならなんでもいい。

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