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コンサドーレは「マンCに近い」。
饒舌なミシャ、61歳にしての変化。
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph byTakashi UEGISHI
posted2019/03/04 17:30
浦和の主将で愛弟子でもある柏木陽介と笑顔で再会。ミシャはとにかく愛される監督だ。
浦和対策で2トップにした意図。
さらに札幌は浦和対策として、基本布陣の3-4-2-1ではなく3-4-1-2を採用。2トップで3バックにプレッシャーをかけて、トップ下起用のチャナティップが浦和のアンカーのエヴェルトンのマークにつきつつ、その脇をついてパスを受けるという作戦だ。
この戦術がものの見事にハマった。それはシステムや戦術の意図を、札幌の選手たちが十全に理解していることも証明した。
ちなみにペトロヴィッチ監督の浦和時代は、いい意味でも、悪い意味でも「自分たちのサッカー」へのこだわりが強く、3-4-2-1の形を変えると、途端に連動性が低くなった。
浦和のミシャ時代を取材してきた身として、そこは驚きだった。札幌は相手の対策も練り、出方を見たうえで、しっかり連動して2ゴールを奪ってみせた。札幌の若い選手たちの柔軟性や理解力、適応力も見事だった。
試合後、とにかく饒舌だった。
浦和戦後のペトロヴィッチ監督はとにかく饒舌だった。
「浦和でも、札幌でも、ミハイロ・ペトロヴィッチという監督であることは変わらず、私自身の考え方、監督としての仕事は変わりません」
「自分のチームを褒めたくはないが、レベルで言えば、マンチェスター・シティに近いレベルでボールと選手が連動した。2人目、3人目……5人目と関わる非常にスムーズな流れのあるゲームができた。選手たちは次の展開がどうなるかを予測して、それに対してしっかり対処できていた」
「選手たちに試合後に言ったが、このような試合をできたら死んでもいいと。それぐらいの気持ちだった。この試合のために準備してきたものをピッチの上で表現してくれた」
「私は浦和で1シーズン勝点74を取ったクラブレコードを作っている。その時代、多くの投資をして外国籍選手を獲得することはなかった。しかしその時に作ったお金でトレーニングセンターの新しい建物ができて、ユースの練習場の人工芝も張り替えられたそうだ。関根(シント=トロイデン)、俊(高木俊幸/C大阪)、武藤も育っていった。それでも私はタイトルを獲れなかった監督、としか思われていない」
「札幌の平均年齢は24歳。鈴木武蔵も今日の試合で評価を上げるでしょう。ミシャは良い選手を持っている、と言われるだけなのは私の宿命かもしれない。私は人を愛している。14シーズン目だが、もう少し、日本で戦っていきたい。健康でいられるかは分からないが。今日は非常にいいゲームだった」