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<甲子園の監督力に学べ!>育てるチカラ。~教え子・立浪和義が語る中村順司(PL学園)~ 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

PROFILE

photograph byTamon Matsuzono

posted2011/07/13 06:00

<甲子園の監督力に学べ!>育てるチカラ。~教え子・立浪和義が語る中村順司(PL学園)~<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

たつなみかずよし/1969年生まれ。'87年、中日入団。'10年、引退。現在はプロ野球解説者として活躍中

 個性豊かな監督の力が遺憾なく発揮される高校野球の世界。語り継がれる4人の名将に薫陶を受けた元球児たちが恩師の監督術を振り返る。

<PL学園:中村順司×立浪和義('87年春夏連覇 遊撃手)>

 怒られた記憶は、たった一度しかない。

 PL学園OBの立浪和義(元中日)が、恩師の中村順司の記憶をたぐり寄せる。立浪は'87年に春夏連覇を達成したときの「3番ショート」で、主将も務めていた。

「もともと口うるさく言う方ではありませんでしたからね。それと僕らのなかで監督に比較的好かれているやつらは『ファミリー』、目の敵にされているやつらは『VS(ブイエス)』って呼んでたんですけど、僕はどちらかというとファミリーのほうだったので(笑)」

 立浪が中村から厳しい指導を受けたのは、外野との中継プレーを練習しているときだった。レフトからの送球がショートバウンドになった瞬間、立浪が嫌な顔を見せたのだ。

「内野手出身の監督でしたので、内野のことに関してはうるさかった。おそらく内野経験者じゃなければ、僕がちょっとぐらい嫌な顔をしても気づかないと思いますよ」


 中村がPL学園時代に甲子園で残した数字は、他の追随を許さない。58勝10敗。この成績をわずか18年間のうちに積み上げた。最多の61勝を挙げている智弁和歌山の高嶋仁は、58勝するまでに37年を要している。ちなみに、蔦と尾藤はそれぞれ37勝と35勝だ。蔦は40年間、尾藤は29年間でたどり着いた。この両者の数字を見ても、中村の記録がいかに突出しているかがわかる。

 ただし、蔦、尾藤の2人と中村には決定的な違いがある。2人はほぼゼロの状態からスタートしたのに対し、中村は'76年からコーチを務め、その間、'78年夏に全国制覇を経験している。つまり、'80年秋に中村が監督に就任したときは、PLはすでに全盛期の途上にあったのだ。

 だが、それも決して容易な作業ではない。これまでいったい、いくつの強豪校が監督の交代に失敗し瓦解したことか。そういう意味では、中村は引き継ぎのスペシャリストだった。立浪が話す。

「どうしようもない選手ばっかりが集まっているのなら怒ったりもしなければいけないんでしょうけど、この時代のPLはそこそこ有望な選手が集まっていた。だから、普通にやればうまくいったと思うんです。中村監督はそもそも選手の自主性にまかせるという方でしたけど、そういうこともすべてわかっていたんだと思いますよ」

 PL学園といえば、当時は上下関係が厳しいことでも知られていた。1年生と3年生が口をきくことなどまずないという時代である。もちろん立浪もそんななかでもまれた。

「最初は、お山の大将みたいなやつらばっかりなんですけど、寮生活の厳しさを経験しているうちに角がとれていくんですよ」

 だが、新入生のなかにはそこで挫折してしまう選手もいる。中村が監督を務めた年代でもっとも気をつかったのは、「KKコンビ」こと桑田真澄と清原和博が下級生だった頃だろう。当時の3年生がこんな話をしていたことがある。

「1年生が入ってくる前に、中村監督にみんな集められて、それとなく清原と桑田の2人には手を出すなよ、みたいな言い方をされたことがある。つまり、つぶすな、ということですよね」


 見えないところで打つべき手は打っていたのだ。立浪がそんな中村の立場を慮る。

「僕も経験ありますけど、1年生から試合に出てると先輩の風当たりが強くなるんですよ。しかも、清原さん、桑田さんは、普通の高校生ではないですからね。2人もがんばったんでしょうけど、距離を置いて見守っていたのは中村監督だったと思いますよ」

 KKコンビ、そして立浪らの時代まで、PLは空前絶後のスター軍団だった。過去にあそこまで注目を集め、かつ全国制覇を意識させられたチームはなかったのではあるまいか。名将と呼ばれる人は何人もいるが、あれだけの重圧のなかで監督を務めた経験を持つのは中村だけである。

【中村の真髄。】
選手の自主性にまかせて、距離を置いて見守っていた。すべてわかっていたんだと思います。

#立浪和義
#中村順司
#PL学園高校

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