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開成→東大→なぜ競馬の調教師?
林徹「学歴に興味ないですから」
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byKiichi Matsumoto
posted2019/02/10 08:00
調教師としてのスタートを切った林徹調教師。学歴ではなく、実績で自らの足跡を残そうとしている。
馬術部で頭角を現していたが。
未経験者だらけの馬術部で頭角を現す。4年時には全国大会の出場権もつかんだが、本番1カ月前になって突如、愛馬が障害を跳ばなくなってしまった。
「技術がないから直せない。自分にできるのは、馬に少しでも幸せになってもらうことだと考えました。朝早く行って、まだ誰も使っていない馬場に放牧し、好きなだけ草を食わせて……」
連日、言葉なき対話を続けた。そして大会直前になり、馬は跳んだ。
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澄んだ大きな瞳を見つめ、林は思う。
「手をかければ、馬は助けてくれる」
そのころにはもう、競馬界に職を求める気持ちは固まっていた。テストで落第しても研究室の大掃除と引き替えに単位をもぎ取り、4年で卒業にこぎつける。さらに「受かるつもりのない」大学院試験に落ちたことを口実にして、猛反対する親を説得した。
20倍の競争を勝ち抜いて。
牧場で勤務した後、競馬学校を経て、美浦トレセンで厩務員、調教助手のキャリアを積む。転機の訪れは'12年、風が冷たくなってきた季節だった。
「高校の先輩で馬主さんをやってる方とお会いして『調教師試験、受けるんだろ?』と言われました。『はい』って言うしかないですよね。それまではのほほんとしてたんですけど」
分厚いテキストに向き合い、1年後の'13年から4年連続で1次試験に合格。ついには2次試験の面接もクリアして、'16年12月、およそ20倍の競争を勝ち抜いて調教師となった。
1年の猶予期間を経て、開業。今年7月1日、3人の同期では最も遅く初勝利を飾る。7日には、調教師になるきっかけをくれた馬主から預かるイチゴミルフィーユが2勝目をもたらした。