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立浪和義にとっての「運命の人」。
星野仙一は怒りと愛に満ちていた。 

text by

立浪和義

立浪和義Kazuyoshi Tatsunami

PROFILE

photograph byKoji Asakura

posted2019/01/04 08:00

立浪和義にとっての「運命の人」。星野仙一は怒りと愛に満ちていた。<Number Web> photograph by Koji Asakura

立浪和義にとって、星野仙一という人物は「闘将」という表現にとどまらないほどの人物だったのだろう。

落合さんを怒った衝撃。

 ある時、大差で勝っている試合で、こう檄を飛ばしたことがありました。

「お前ら、勝つだけじゃだめや。明日も試合があるんやから倒れてる奴が起き上がってこれんぐらい、踏みつけてこい!」

 そういうところから、勝負に対する厳しさや執念を教えてもらいました。何より怖かったのはミーティングの最初から冷めたような笑みを浮かべている時です。そういう場合は本当に怒っている時でした。

 プロ1年目で一番、衝撃的だったのは落合(博満)さんを怒ったことでした。'88年の5月か、6月くらいだったと思います。落合さんはスロースターターで徐々にペースを上げていく方なんですけど、星野さんはミーティングで「落合! 何月だと思ってるんや!」と怒鳴ったんです。落合さんはあの時、すでに三冠王を3度獲られていて、そんなずば抜けた実績の人を怒れる監督はいないと思っていました。あの時は選手全員がピリッとしました。

激しさ、厳しさの中に愛情。

 その後、自分がチームの中心になった頃には、星野さんがなぜあの時、落合さんを怒ったのかがわかるようになりました。ナゴヤドームができた’97年、チームは最下位に沈んで、その頃は僕や中村(武志)さんが試合前のミーティングで「カズヨシ! タケシ! お前ら何やってんだ!」とよく怒鳴られました。監督はチームの主力を怒ることで、全員にメッセージを送っていたんだな、と気づきましたね。同じ怒るのでも、怒り方があるんだ、と。

 こうして振り返ると怒られてばかりだったように思いますが、あの人の場合、激しさや厳しさの中にふと愛情を感じるんです。「もう使わん!」と怒鳴った選手は必ず次の日に使いました。僕だけではなく、みんなに対してそうでした。

 2000年、僕が判定に納得がいかなくて、球審の胸をどついてしまったことがありました。すると星野さんが真っ先にベンチから飛び出してきて、審判に体当たりして一緒に退場になったんです。普段から「乱闘には絶対に出遅れるな」と言っていましたが、あの時も自分が真っ先に出てきて僕を守ってくれたんだと思います。

 また、甲子園で激しい雨の試合中に控え選手が、監督が濡れているのを気にして雨よけを出そうとしたら「そんなもんいらん!」とものすごい剣幕で怒鳴られてました。選手と一緒に戦う、親分肌のところがありました。

 選手にとっては10回怒られて、1回褒められるというくらいの割合だったと思うんですが、たまに褒められるのがすごく嬉しくて、みんなそのために頑張っているようなところがありましたね。怒りに愛情を込められる、そういう人でした。

【次ページ】 2人で涙を流した時のこと。

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