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立浪和義にとっての「運命の人」。
星野仙一は怒りと愛に満ちていた。
text by
立浪和義Kazuyoshi Tatsunami
photograph byKoji Asakura
posted2019/01/04 08:00
立浪和義にとって、星野仙一という人物は「闘将」という表現にとどまらないほどの人物だったのだろう。
2人で涙を流した時のこと。
忘れられないのは'90年代の終わり頃、僕は故障を抱えながらプレーしていて成績も芳しくなかったんですが、その時、監督室に呼ばれたことがあったんです。
ああ、また怒られるなと思ったら、星野さんは静かに「お前、どうしたんだ? 何か悩みでもあるのか?」と聞いてくれて。「何もないです」と答えたら、「そうか。ならいい。もし何かあるなら、いつでも言ってこいよ」と言ってくれたんです。滅多にかけられない優しい言葉に僕はホロっときて、その場で涙を流してしまったんです。そうしたら監督ももらい泣きして、2人で泣きました。
その後、阪神の監督時代にリーグ優勝して、楽天の監督として日本一になりました。球界の一流選手からも慕われるようになり、僕らとしては多少の遠慮はあるんですが、ユニホームの色が変わっても、ずっと監督と選手の間柄だったような気がします。引退した後も年に1回は必ず電話したり、会ってお話しさせてもらったりしました。
今は最先端のトレーニングなどで選手の体力、技術は上がっています。褒めて伸ばす時代とも言われます。ただ、星野さんのように厳しさで伸ばす、怒って愛される人はいません。今の時代の良いところと、星野さんが残してくれたものを融合させていくのも僕らの役目なのかなと思っています。
(構成/Number編集部・鈴木忠平)
(Number944号『独占追悼手記“怒りと愛の人”星野仙一。』より)