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時代を熱狂させた辰吉丈一郎の哲学。
「俺はボクサー。金が欲しいわけ違う」
posted2018/12/21 08:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Takuya Sugiyama
大阪帝拳ボクシングジムの会長を務める吉井寛は1990年代、リングに渦巻いていた興奮を今も覚えている。
その中心にはいつも、ひとりのボクサーがいた。
「辰吉はそれまでのボクサーとはまったく違っていた。試合前から『KOで倒す』なんて普通、言われへん。あの(渡辺)二郎さん(大阪帝拳からWBA世界スーパーフライ級王者に)でさえ言わなかった。普通の人にはできないことをやってしまう。そこにみんなが憧れたんだと思う。でも、本人はまったく周りなんて気にしていなかったと思うよ」
辰吉丈一郎の人気は絶大だった。当時は先代の父・清が会長だったため、寛はスタッフとしてタイトルマッチの直前になると、いつも“大仕事”をしなくてはならなかった。
リングに上げるまでがひと苦労。
「辰吉がリングに向かって出ていく入場口に人がぎょうさん集まっとるんです。それを掻き分けて、入場口の安全を確認するのが僕の役目やった。でも、みんな、なかなか下がろうとしない。
入場口の上から人がぶら下がっているような感じですよ。『お前ら、下がらんと入場せえへんぞ!』って言っても、今度はお客同士で『お前が下がらんかい!』とやりあっているんです。本当に毎回、リングに上げるまでがひと苦労でした」
1991年に辰吉が世界チャンピオンになると、ジムは入門希望者であふれかえった。まだ現在の建物になる前、当時のジムでは収まりきらず、中に入りきれない練習生が路上でシャドーボクシングをしていた。
痛い思いをすれば、少しは練習生が減るだろうとすぐに実戦をやらせたりもした。
「チケットはいつもなら、後援者の方たちに買ってもらったりしないとあかんのやけど、あの頃、辰吉の試合はプレイガイドに置いておけば、どんどん売れたな。そのうち、ボクシングの試合以外でも人気になって、週刊誌、女性誌まで追いかけ始めた」