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大木武と選手たちの幸福な関係。
京都サンガを旅立った男たちの再会。 

text by

渡辺功

渡辺功Isao Watanabe

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photograph byJ.LEAGUE

posted2018/08/02 08:00

大木武と選手たちの幸福な関係。京都サンガを旅立った男たちの再会。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

三平和司、工藤浩平、山瀬功治ら異能の選手が並んだ大木武監督時代の京都。古都で育った選手たちは今もなお戦い続けている。

高校生だった久保裕也らを登用。

 南アフリカW杯でベスト16入りした日本代表のコーチを務めたあと、4度目のJ2降格をしたばかりの京都に招聘される。最初のシーズンは序盤のつまずきが響き、リーグ7位にとどまったものの、天皇杯で準優勝した。

 まだ高校生だった久保裕也(ベルギー・ヘント)を筆頭に、若手選手を次々と登用。従来の京都とは一線を画する攻守にアグレッシブなサッカーを展開する。が、翌'12年シーズンは勝ち点2差で自動昇格を逃し、昇格プレーオフで敗退してしまう。

 今度こそはJ1復帰。そんな期待が高まった大木・京都の3シーズン目に、完全移籍してきたのが三平だった。

大木監督と出会って幅が広がった。

 少年時代はヴェルディSS相模原に所属。'10年、神奈川大在学時から特別指定選手としてプレーしていた湘南ベルマーレに入団。'12年には期限付き移籍2年目を迎えていた大分で14ゴールをあげ、チームのJ1昇格に貢献していた。

 京都では2トップの一角や3トップの右ウイングでプレーして、リーグ戦出場38試合で7得点。開幕3試合目のアビスパ福岡戦では87分から途中出場して、終了間際にダイビングヘッドで決勝ゴール。チームにシーズン初勝利をもたらしたり、鹿児島・鴨池で行われたカターレ富山戦でテクニカルな股抜きゴールをあげたりと、記憶に残る活躍に加え、サービス精神旺盛なキャラクターにより、苗字を音読みにした「サンペイ」のニックネームで人気を集めていた。

「周りから見ている人たちが、京都に行って自分が変わったと言ってくれる。前に大分にいたときの自分は簡単に言うと、とりあえず走ることしか考えていなかった。動き方だったり、どこに動くのかだったり。そうやって考えてプレーするようになったのは、大木さんに出会ってから。それが、いまに生きているのだと思う。

 練習でボールを触る回数が、それまでとは全然違ったんで。幅が広がりました。本当に、大木さんのおかげで、いまの自分があるので。良いプレーができてよかったです」

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