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天皇杯は物語を喚起する舞台装置。
新潟・大谷幸輝と高知・横竹翔の絆。
text by
大中祐二Yuji Onaka
photograph byAlbirex NIIGATA
posted2018/07/05 10:30
移籍1年目だった新潟で降格を味わった大谷幸輝。このまま終わっていいと思っているはずはない。
昔から知っている選手とできるうれしさ。
この日、高知が放った4本のシュートのうち、決定的な2本を放ったのが元サンフレッチェ広島のボランチの横竹だった。
23分、自陣センターサークル付近でのパスカットからカウンターとなった場面では、味方が左サイドでタメをつくっている間に、ひと呼吸を置く感じで中央を上がり、フリーでパスを受け、ワンツーからペナルティーエリアに侵入。新潟DFを振り切って、右足でシュートを放った。68分には左からのFKに対し、守る新潟の選手たちの隙を見逃さず、ニアの裏を取って右足で合わせた。
どちらもGK大谷と1対1になる絶好機。だが23分のシュートはパンチングで跳ね返され、68分のシュートは体の真正面でキャッチされた。
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「2本とも正面に行ってしまいました。大きな体に吸い込まれましたね(笑)。でも、昔から知っている選手と、こうして公式戦の舞台でサッカーができるうれしさ、楽しさを感じることができました」
キャプテンマークを巻いて120分走り切り、戦い抜いた横竹は、穏やかな口調で振り返った。
小学生の頃から知っていた2人。
大谷もまた、同じロンドン・オリンピック世代の横竹のことを小学生の頃から一方的に知っていたという。
「何の大会か覚えていないんですが、試合中はFWだったのに、PK戦でGKをやっている選手がいて、びっくりしたんですよ。それがツバサ(横竹)でした」
当時、大谷は熊本の小学生、横竹は広島の小学生だった。そして中学からは、年代別の日本代表で、たびたび一緒になる。
「ツバサは強くて速くて、広島の下部組織育ちらしく、つなぐうまさもある選手でした。今も基本的に変わりはなくて、高知の中心選手としてチームを落ち着かせていましたね」
'08年に広島のトップに昇格した横竹は、'13年にガイナーレ鳥取へ移籍。J2、J3を舞台にプレーした後、'15年に高知ユナイテッドの前身である四国リーグのアイゴッソ高知に移籍した。
「新潟がメンバーを落としてきたとはいえ、ここまで戦えるとは思わなかった。みんなが辛抱強く、我慢して戦えたのが、この良いゲームにつながったと思う」と振り返ると、「もう一回、この舞台に帰ってこられるように頑張ります」と話した。
そこには主語がなかったが、それは自分自身であり、高知ユナイテッドであるはずだ。高知は新潟戦から4日後の四国リーグ、FC徳島戦で初黒星。だが翌節は光洋シーリングテクノに大勝し、首位に立っている。