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<歩みをとめない者たち>
澤穂希がサッカーと家族に捧げる“全力”人生。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph byNanae Suzuki

posted2018/06/28 11:00

<歩みをとめない者たち>澤穂希がサッカーと家族に捧げる“全力”人生。<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

W杯優勝という神様からのプレゼント。

 2011年のあの夏は、澤にとっても特別だった。

「私自身、5回目のワールドカップで、年齢的にもキャリアの集大成に入る時期でした。そして3月に東日本大震災が起こり、日本国中が悲しみに包まれました。サッカーで言えば、東北のチームはサッカーをやれる状況ではありませんでした。ワールドカップでは日本を元気づけたいとみんな思っていましたし、応援してくれる方々のためにも、そして自分たちのためにも勝ちたいと思う気持ちがこれまで以上に強く、多くの人々に背中を押されて臨んだ大会でもありました」

 澤の活躍は、まさに神懸かりという表現がふさわしい。

 グループリーグ、メキシコ戦でのハットトリックにはじまり、準々決勝では大会3連覇を狙うホスト国ドイツを絶妙のスルーパスで沈めた。準決勝でのスウェーデン戦では勝ち越しゴール。そして決勝、過去24度戦って一度も勝利したことのないアメリカに対し、延長後半残り3分で同点弾を決めてPK戦に持ち込んだ。

 歩みをとめなかったことが最高の舞台で花を開かせた。

 澤は言う。

「今までやってきたことが決して無駄ではなかったな、と。いっぱい大変なこともあって、挫折もいろいろありましたけど、頂点に立てたというのは本当に今までやってきたことの結果でもあるし、頑張ってきたご褒美をもしかしたらサッカーの神様がプレゼントしてくれたのかなって思いました。もちろん、周りで支えてくれた人たちのおかげでもあります。

 結果が出ないとあきらめがちになりますよね。でもアメリカ戦のゴールも、あきらめないみんなの気持ちが伝わってきたし、私自身もあきらめていませんでした。サッカーは最後の最後まで何が起こるかわからない。あきらめなければ(結果は)ついてくると、実感を得ることができたのです」

 澤の歩みはなでしこジャパンの歩みであり、澤のポリシーはなでしこジャパンのポリシーとなっていた。あきらめないことで、奇跡の優勝を手繰り寄せたのだった。

代表から外れて生まれた葛藤。

 成功を続けるのは簡単ではない。

 なでしこジャパンは翌年のロンドン五輪で2位となり、女子サッカー初のメダルを獲得する。このとき澤は33歳。キャプテンを宮間あやにバトンタッチしながらも、「行動、プレーで示す」姿勢を貫きとおした。

「(ロンドン五輪に向けて)少なからずプレッシャーはありましたが、みんな(ワールドカップから)モチベーションが下がりませんでした。チームスポーツなので(一人ではない)みんなで力を合わせて、支え合って、プレッシャーに打ち勝てました。(個人競技で)一人だったら、プレッシャーに負けていたかも知れません」

 ワールドカップで優勝し、五輪でもメダルを獲ることができた。なでしこリーグの認知度も広がりを見せる。望んでいたものがようやく実現できていた。

 しかし2014年、澤は優勝したアジアカップを最後に日本代表から外れるようになる。彼女の心に少しずつ葛藤が芽生えていく。

【次ページ】 控えの立場でも「全力で」支えた。

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