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リオ世代を診たドクターが明かす、
大島、植田、遠藤の素顔とタフさ。
posted2018/06/18 17:00
text by
吉田治良Jiro Yoshida
photograph by
Getty Images
ロシア・ワールドカップを戦う日本代表23人の中で、2016年のリオデジャネイロ・オリンピック(以下リオ五輪)に出場した選手は以下の4人だ。
GK中村航輔、DF植田直通、遠藤航、MF大島僚太。
“リオ五輪世代”に思ったほどロシア行きのチケットが行き渡らなかったのは、ヴァイッド・ハリルホジッチから西野朗へ、本大会の2カ月前に突然の監督交代があったことも影響しているだろう。緊急事態に際しては、若さよりもベテランの経験が重視されたのだ。
メンバー入りを期待された中島翔哉、井手口陽介、浅野拓磨はいずれも選外となり(井手口と浅野はバックアップメンバー)、また、所属クラブの事情でリオ五輪に参加できなかったこの世代のエース格である久保裕也も、ハリルジャパンで十分な実績を残しながら、23人枠から弾き出されている。
明暗が分かれたリオ五輪世代──。
そんな彼らの成長を、U-21時代からリオ五輪まで、間近で見てきた人物がいる。当時の代表チームのドクターで、現在は昭和大学藤が丘病院の整形外科に勤める高木博医師だ。
「これほど名誉な仕事はありませんから」
手倉森誠(現日本代表コーチ)が'13年10月に、当時のU-21代表チームの監督に就任してからリオ五輪までのおよそ3年弱、チームドクターとして働いた高木氏。自身も幼稚園から大学までサッカーに打ち込み、医師となってからは病院勤務の傍ら、神奈川県サッカー協会や日本サッカー協会の仕事に携わってきた。宇佐美貴史らがいた池内豊監督時代のU-16代表('09年のU-17ワールドカップに出場)でも、彼はドクターを任されている。
大学病院の医師と、リオ五輪を目指す代表チームのメディカルスタッフ。二足の草鞋を履きこなした日々を、高木氏は「かなりハードでした」と振り返る。
「(医師としての)普段の生活をしながら、ですからね。1カ月も遠征に帯同したら、それは大学の方もいい顔はしませんし(笑)、収入の面でもマイナス。ある意味、リオで終わると分かっていたからこそやれた仕事でした。ただ、これほど名誉な仕事もありませんからね。最後は病院側も快く送り出してくれました」