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ジャーナリスト佐藤俊が目撃した激闘の記憶

posted2018/06/15 10:00

 
ジャーナリスト佐藤俊が目撃した激闘の記憶<Number Web> photograph by JMPA

後半投入されたFWシチェフをマークする宮本。特注のフェイスガードで「バットマン」と呼ばれた。

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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JMPA

ワールドカップ日本/韓国大会(横浜 横浜国際総合競技場)

日本 1-0 ロシア

 今も思い出すのは試合後、宮本恒靖が握りしめた白いタオルに泥と芝生の欠片とともに赤い血が滲んでいたことだった。

 大会前、練習試合で鼻骨を骨折し、ワールドカップでは特注の黒いフェイスガードをつけてプレーした。そのため「バットマン」と言われ、中高生から中高年のおば様方に至るまで、宮本の人気に火をつけるひとつのアイテムになったのだが、ロシア戦は激しい肉弾戦となり、フェイスガードの上からもクラクラするような衝撃を何度も受け、地面に叩きつけられた。それでも声を出し、体を張って必死に守った。

 その証が鼻血を拭ったタオルだった。

 2002年日韓W杯、グループリーグ2戦目のロシア戦は、当時の日本サッカー界にとってドラマティックで歴史的な試合になった。

 1-0でのワールドカップ初勝利。2試合を終えて勝ち点4となり、グループリーグ突破に向けて大きく前進した。試合内容も素晴らしく、稲本潤一のゴールで先制し、後半は押し込まれたが最後まで粘り強く守り、難敵ロシアを完封した。

 ロシアをゼロに抑えるために、初戦のベルギー戦から守備の修正が施されたのだが、そのプロセスにもドラマがあった。

ベルギー戦で露呈したフラット3の問題点。

 初戦のベルギー戦では鈴木隆行のゴールで追いつき、稲本のゴールで突き放した。だが、高いラインの裏をファンデルヘイデンに突かれて2-2の同点に持ち込まれ、勝利を逸した。

 トルシエは「フラット3」という3人のDFがボールにプレッシャーが掛かっている時はラインを高く上げ、掛かっていない時はいち早く下がる守備戦術を敷いていた。

 アジアでは守れてもワールドカップは世界が相手。ベルギーのように裏を狙われて1発で決められてしまうと勝てる試合を失ってしまう。

 危機感を抱いた選手たちはベルギー戦後、露天風呂でラインについて話し合った。

【次ページ】 トルシエの要求と戦術のアレンジ。

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