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ヴィッセルが進める“バルサ化”とは。
三浦淳寛SDに聞いた大改革の全貌。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byShinya Kizaki
posted2018/05/14 11:00
三浦淳寛SD(中央)のもと、林健太郎(左)と平野孝が特別チームを組む。かつてJを沸かせた選手たちの挑戦が神戸で始まっている。
クラブ施設を見学し、レクチャーも。
今年3月、三浦は三木谷会長とともに3日間バルサを訪問したとき、ロウラと再会を果たした。
「フリューゲルスのときに得たものは大きい。3月にバルサに行った際、アカデミーで何をしているか、ロウラから深く話を聞くことができました」
さらに三浦はバルサの施設を見学し、各部門のトップからレクチャーを受けることができた。当然、これにはロウラだけでなく、バルサの「メイングローバルパートナー」である楽天の後押しがあった。
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「三木谷会長とCLのチェルシー戦を見に行ったら、カンプノウの一番上のVIPルームに通され、バルサの会長らお偉いさんが次々に『はーい、ミッキー』と挨拶に来た。こんなすごい人と一緒に仕事をしているんだなと(笑)。翌日、三木谷会長とともに、バルサのすべてを見せてもらえました」
では、バルサのノウハウとは何か? そう訊くと三浦は、「平野と林が1カ月間研修を受けたので、2人に聞いてほしい」ということだった。2人のインタビューは後日、別記事で紹介しよう。
「アブダビの夜」とSDの関連性。
三浦はジーコジャパン時代、日本代表で主力ではなかった。だが、控えという立場でもできることがある。三浦は常にチームがひとつになれるようにサポートしていた。その代表例が「アブダビの夜」と呼ばれる選手ミーティングでのスピーチである。
2005年6月、W杯最終予選の終盤、ジーコジャパンは直前のキリンカップで2連敗し、大一番のバーレーン戦を前に迷いが生まれていた。三浦は選手ミーティングで「俺はW杯に行きたい」と熱くスピーチし、選手がまとまるきっかけをつくった。
「あのときの自分の役割とSDの仕事は、似た部分があるかもしれない。試合に出られなくても、自分の思いを伝えるのはすごく大事だと思う。チームと会社組織というのは、似ているような気がします。キャプテンだったら、あいつ元気ないな、あいつ調子乗っているなとか、全体を見る。SDはそれと同じような立場。そんなに違和感はないですね」