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ヴィッセルが進める“バルサ化”とは。
三浦淳寛SDに聞いた大改革の全貌。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byShinya Kizaki
posted2018/05/14 11:00
三浦淳寛SD(中央)のもと、林健太郎(左)と平野孝が特別チームを組む。かつてJを沸かせた選手たちの挑戦が神戸で始まっている。
横浜F時代、レシャックとの出会い。
だが三浦には、引退後ずっと追い求めてきた目標があった。それは監督になることだ。
「僕は監督になるために引退を決断し、それから順番にB級、A級の指導者ライセンスを取り、ついに2016年9月、S級ライセンスを取得した。さあこれから指導現場に入ろうと考えていたので、SDとしてのオファーにすごく迷いました」
しかし今回のオファーには、三浦の目標とオーバーラップする部分もあった。それはバルサ的なサッカーに挑むということだ。
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「自分が監督になったら、こういうサッカーをしようというアイデアを、ずっとメモしてきたんですね。それはゲームを支配するサッカーで、まさにバルサのスタイルに近いもの。三木谷さんからバルサの話が出て、SDとしての挑戦を決意しました」
三浦が初めてバルサのサッカーに出会ったのは、1998年、横浜フリューゲルスの監督にカルロス・レシャックが就任したときだった。
かつてバルサでFWとして活躍し、引退後はヨハン・クライフ監督のアシスタントコーチを務めた男は、フリューゲルスに3-4-3を導入。成績不振で9カ月で辞任することになったが、バルサイズムを日本に伝えた。
「チャーリー(レシャック)からは、もっと頭を使えと言われた。日本人はよく走るけど、逆にパスコースを消してしまっていると。ポジショニングの大切さを言われ続けました」
「ヤットもモトさんも感化された」
当時、三浦、山口素弘、吉田孝行(現ヴィッセル神戸監督)、そして高卒でいきなり先発起用された遠藤保仁らは、レシャックから衝撃を受けた。
「ヤット(遠藤)もモトさん(山口)も、当時関わった人はみんな感化されたと思う。始めは難しかったが、どんどん良くなったのを感じた。なぜあれを続けられなかったのか。本当にもったいなかったと思います」
ただ、20年の時を経て、その経験を生かす機会が訪れたのだから、人生はわからない。
そのときの人脈も生きようとしている。フリューゲルス時代、レシャックの下でアシスタントコーチだったジョルディ・ロウラが、現在バルサのアカデミーダイレクター(育成部門責任者)を務めているのだ。