ゴルフPRESSBACK NUMBER
小平智とスピースが辿る同じ道。
スポット参戦での優勝は事件なのだ。
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byAFLO
posted2018/04/25 10:30
小平智は日本大学在学中から活躍し、2010年にはチャレンジツアーで優勝した。妻は古閑美保。
スピースもスポット参戦で勝利を手にした。
「小平の道」――それは、ジョーダン・スピースが歩んだ道とよく似ている。
2012年にプロ転向したスピースは、何の保証も確証もないまま、2013年の米ツアーの大会にスポンサー推薦やトップ10入りによる翌週の出場資格獲得という綱渡りのスポット参戦で挑み始め、その年の7月、ジョンディア・クラシックで初優勝。
ノンメンバーの“単なるチャレンジャー”だったスピースは、いきなり米ツアーの正式メンバーへジャンプアップした。
小平もヘリテージに出た段階では、かつてのスピース同様、“単なるチャレンジャー”だった。だが、大会を堂々制し、初優勝を挙げたことで、スペシャル・テンポラリー・メンバーを目指すプロセスを飛び越え、いきなり米ツアーの正式メンバーになった。その意味で、スピースの歩みと小平のそれは、そっくりなのだ。
「スピースする」という動詞の誕生。
スピースのその後の歩みを振り返ってみると、ジョンディア・クラシックで初優勝を遂げた彼は、その優勝によって翌週の全英オープンへの最後の切符を手に入れ、その足で英国へ飛び、翌春は夢にまで見たマスターズでいきなりの優勝争い。
そのときはバッバ・ワトソンに惜敗したが、その翌年の2015年マスターズではメジャー初優勝、その2カ月後に全米オープンも制してメジャー2勝目を挙げ、あれよあれよという間に「世界のスピース」へと成長していった。
そのころから、米ツアーを目指す若者たちの間では「ジョーダン・スピースする」という言葉が口ずさまれるようになった。下部ツアーなどを経ず、いきなり米ツアーの大会に綱渡りで挑み、数試合のうちに優勝して、いきなり正式メンバーの資格を得る最速の道。
そうやってイチかバチかでギャンブル的にそこに挑み、成功することを、米国や世界の若者たちはスピースの名前を動詞化し、「I want to Jordan Spieth.(僕もジョーダン・スピースしたい)」と表現するようになった。