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小平智とスピースが辿る同じ道。
スポット参戦での優勝は事件なのだ。 

text by

舩越園子

舩越園子Sonoko Funakoshi

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photograph byAFLO

posted2018/04/25 10:30

小平智とスピースが辿る同じ道。スポット参戦での優勝は事件なのだ。<Number Web> photograph by AFLO

小平智は日本大学在学中から活躍し、2010年にはチャレンジツアーで優勝した。妻は古閑美保。

世界ランク50位、メジャーも経て初勝利。

 もちろん、あのころのスピースと現在の小平には決定的な違いがある。センセーショナルにデビューした当時のスピースには、プロとしての実績も経験も皆無だったが、現在の小平には日本ツアーで積み重ねてきたものがすでにあり、世界ランキングもトップ50入りした上でマスターズへ、ヘリテージへと進んでいった。

 さらに言えば、スピースは米ツアーで初優勝を挙げた後にメジャー大会に出始めたが、小平はすでに自力でメジャー大会をそれぞれ経験した上で米ツアー初優勝を遂げたわけで、その順番もスピースと小平には違いがある。

 だが、ノンメンバーの資格で、その先に何の保証もないノーギャランティの状態で、米ツアー転戦のためのサポート体制も整っていないまま、いきなり米ツアーチャンピオンになり、米ツアー正式メンバーになったという根幹部分は2人の共通項となった。

 それは言い換えれば、未来の米ツアー選手を目指す日本の若者たちが小平の名を動詞化し、「僕も小平智したい」と言って目指すに値する快挙であり、模範であるということ。「小平の道」には、それほど大きな意義と価値がある。

日本ツアーで成長して米ツアー優勝。

 米ツアーで勝利した日本人チャンピオンたちの歴史を振り返ると、青木功がハワイアン・オープンを制した1983年当時は、まだ日本人が米ツアーに腰を据えての本格参戦が現実的ではなかった時代だったようだ。

 日本人2人目となった丸山茂樹は、日本ツアーで戦った実績を活かして米ツアー大会にスポット参戦し、スペシャル・テンポラリー・メンバーを経て、2000年から正式メンバーとして米ツアー本格参戦を開始。最初の1年はあれやこれやの試行錯誤で苦戦し、米ツアー2年目の2001年にグレーター・ミルウォーキー・オープンで初優勝を遂げた。

 3人目の今田竜二は生粋の米国ゴルフの出身だ。米ジュニアゴルフから米カレッジゴルフへ進み、ミニツアー、下部ツアーを経由して、ようやく米ツアーに辿り着き、2008年AT&Tクラシックで初優勝した。

 そして4人目の松山英樹は2013年から米ツアーにスポット参戦を開始し、その年にスペシャル・テンポラリー・メンバー資格を獲得。2014年から正式メンバーとして本格参戦を開始し、その年の6月にメモリアル・トーナメントで初優勝。

 だが、5人目となった小平だけは、米ツアーで正式メンバーとして戦った経験も実績もゼロのまま、米ツアー勝利を掴み、米ツアー本格参戦を開始しようとしている。それは、日本ツアーで培った財産がそのまま世界への飛翔に活かされた初めての優勝とも言える。

 だからと言って、日本ツアーに出てさえいれば、それだけで米ツアーに勝てる力が身に付くわけでは毛頭ない。小平は日本で戦いつつ、一方で常に視線を外に向け、5年前から彼なりの努力をひっそりと続けてきたからこその成功である。

 しかし、日本ツアーで得てきたものが直接的に米ツアー優勝へ、米ツアー参戦へと続いていく初めてのケースとなったことは確かであり、パイオニアとなった小平と彼の勝利に日本のゴルフ界も胸を張っていい。そして、もちろん日本のゴルフ界は、小平の優勝を心底、喜んでいるはずだ。

【次ページ】 小平の人柄が呼ぶ祝福のムード。

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