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ポドルスキ、憲剛から何を学んだ?
神戸・小川慶治朗、25歳の脱皮宣言。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph byGetty Images

posted2018/02/23 07:00

ポドルスキ、憲剛から何を学んだ?神戸・小川慶治朗、25歳の脱皮宣言。<Number Web> photograph by Getty Images

走行距離やスプリント回数で注目されることが多い小川だが、テクニックも十分に高い。

「今のままじゃ自分は変わらない」

「僕のイメージは固まっていると言うか、“こういう選手”と自分も周りも決めつけているように感じたんです。自分には“スピード”という武器がありますが、これまであまり1対1を仕掛けず、ポジショニングで勝負して、相手の裏を取ることばかり考えていた。

 誰かにボールを運んでもらう前提の“裏を取る専門のアタッカー”に留まっていたんです。でも、そこからワンランク上にいくためには“自分で運んでいけるスタイル”、自らドリブルで打開して得点を奪える選手にならないといけない。

 今のままじゃ自分は変わらないし、成長しないのではないかという気持ちがどんどん膨らんだんです」

 10代の頃の小川は積極果敢なドリブルでゴールに迫っていた。だが「“自分、自分”だけでは怖くないし、試合に使ってもらえない」と試行錯誤しながらフォア・ザ・チームのプレーを意識するようになった。もともと戦術理解度、ポジショニングやオフ・ザ・ボールの質も高かったこともあり、すぐに身体に馴染んだ。だからこそ監督が替わってもコンスタントに出番を掴めたのだし、13番を背負い続けてきたのだ。

 しかし、徐々に自らを“試合に出るために無難にプレーをしている”と感じるようになったのだという。

「今は運動量で貢献する、チームを陰で支えるタイプという印象を持たれがちです。それは現場だけでなく、サポーターもそのイメージなのだと思います。ただ僕は試合に出続けるためのプレーに終始してしまった」

ポドルスキ、憲剛から感じたオーラ。

 知らぬ間に築いていた、自分らしさの“檻”が彼を苦しめていた。

「自分の性格上“お前はこうチームに貢献するんだろ?”という空気を敏感に読み取っていたと思う。自分で思考回路を難しくしている……それは優しさというか戦う上で不必要ものだと思いますが、そ敏感な自分がいたんです」

 葛藤する彼に刺激を与えたのは、昨年途中加入したルーカス・ポドルスキだった。元ドイツ代表の名ストライカーは堂々としたプレーを見せ、小川も思うところがあった。

「“誰が見てもエース”という存在ですよね。ボールを持っているときに自信があるし、誰が見てもオーラがある。神戸だったらポドルスキ、川崎フロンターレだったら中村憲剛さん。彼らはボールを受けるときに“大丈夫だ、出せ!”という感じだし、実際にボールを失わない。僕もあの2人のように存在感と表現力も凄い選手になりたいと心から思ったし、僕もそうならないとと感じていたんです」

【次ページ】 「“自信”を持って“オーラ”に」

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