酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
星野仙一が闘将になる「前」の話。
最強ドラフト世代の初代セーブ王。
posted2018/02/15 10:30
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
2月はプロ野球の春季キャンプをうろつくのが年中行事になっている。奥さんには「取材だ、仕事だ」とふんぞり返っているが「趣味だろ?」と言われれば、「はい、そうです」と言ってしまいそうである。
昨年も宮崎、沖縄と回り、2月中旬に沖縄県金武町で行われている楽天の練習を見に行った。
受付でプレス申請をして、エントランスを見ると、星野仙一さんがぽつんと立っていた。
広報受付の人はいるが、あとは星野さんと私だけ。面識はないが、いい歳をしたおっさんがこそこそっと出ていくわけにもいかない。口をついて出たのは「殿堂入り、おめでとうございます」だった。
星野さんは、ちょっと意表を突かれたように「あ、ありがとう、取材?」と言った。
「そうです」
これが星野さんと私の会話のすべてだ。
昭和の野球人は人間臭い記録を残した。
私の親父は中日ファンであり、関西から車で中日球場まで行って、一緒に試合を見たこともある。確か星野仙一が投げていた。晩年よりもえらが張っていて、きびきびしていた。中日の投手はちぎっては投げのタイプが多かったが、星野もそうだった。
私は中日のファンにはならず、星野仙一のファンにもならなかった。
「武闘派」のイメージのある星野は、どっちかというと反感を覚える選手の1人だった。ただ今思うと星野仙一は「昭和の野球人」で、そして単なる野球エリートではなかった。現役時代も、いわゆる大エースとは一味違った、人間臭い記録を残している。
今では、あまり語られなくなった「投手 星野仙一」の足跡をたどっていこう。