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小島太「俺はサクラの馬、境厩舎」
名騎手、名調教師だった男の定年。
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKeiji Ishikawa
posted2018/02/10 09:00
1994年の皐月賞ではサクラエイコウオーに騎乗した。長年の競馬ファンならピンクの勝負服=小島太のイメージだろう。
「97%の調教師がおれを起用しないんだけど……」
騎手が馬主と専属契約をすることのあるヨーロッパならともかく、日本でこのように特定のオーナーの馬に数多く騎乗したジョッキーは、おそらくほかにいない。
それに関して、'95年秋に筆者が構成を担当した田原成貴との対談で、本人はこう話している。
「ファンから見たら、小島太は日本一下手だと言うヤツが半分で、まあ、上手いと言ってくれるヤツも半分いるかもしれないけど、そんな程度の評価だと思うよ。おれはサクラの馬、境厩舎と形が決まっている。残りの97%の調教師がおれを起用しないんだけど、おれにしてみれば、どうしておれを使ってくれないのかな、という気持ちもあるんだ」
華のある騎乗にとことん惚れたファンもいれば、「いい馬に乗っているから勝つだけだ」と嫌うアンチファンもいた。
サクラチトセオーで天皇賞を制し「辞めるなコール」。
しかし、馬を動かす技術がなければ、通算1024勝を挙げることはできなかったはずだ。また、馬乗りに関する言葉は、非常に示唆に富んだものだった。
「競馬っていうのは、手を動かしたから仕掛けたとか、ステッキで叩いたから仕掛けたというものじゃないんだ。乗ってる者の気持ちがハッとしたら、それが馬に伝わる。仕掛ける、というのはそういうことなんだよ」
同じ対談の場で彼がそう言ったとき、成績では上回っていた田原が衝撃を受けたように頷いていた。
サクラチトセオーで天皇賞・秋を勝ったあと、スタンドから「辞めるなコール」が沸き起こった。
騎手・小島太は、それほど特別な馬乗りだった。
'96年に調教師となり、'97年に厩舎を開業してからは、2000年のNHKマイルカップと'02年のジャパンカップダートを勝ったイーグルカフェ、'01年の菊花賞、有馬記念、'02年の天皇賞・春を制したマンハッタンカフェなどを育てた。
名騎手は、名調教師でもあった。