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小島太「俺はサクラの馬、境厩舎」
名騎手、名調教師だった男の定年。
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKeiji Ishikawa
posted2018/02/10 09:00
1994年の皐月賞ではサクラエイコウオーに騎乗した。長年の競馬ファンならピンクの勝負服=小島太のイメージだろう。
グラスワンダー育ての親・尾形調教師の“血脈”。
春秋のグランプリ3連覇を果たしたグラスワンダーの育ての親として知られる尾形充弘調教師の引退も、喪失感が大きい。
父は、メジロティターン(メジロマックイーンの父)などを管理した尾形盛次。祖父は、「大尾形」とも「競馬界のドン」とも呼ばれた尾形藤吉である。
藤吉は、史上最多の通算1670勝、ダービー8勝を含むクラシック26勝といった金字塔を打ち立て、門下生には、日本にモンキー乗りをひろめた保田隆芳、最年少ダービージョッキーの前田長吉、「ミスター競馬」野平祐二のほか、松山吉三郎、伊藤修司、伊藤正徳調教師などがいる。
その「尾形」の看板を、偉大な祖父が亡くなった翌年、1982年に厩舎を開業してからずっと背負いつづけてきた。
「父もそうでしたし、私も大きなプレッシャーを感じていました。調教師免許をとったとき、松山吉三郎さんから『おめでとう。でも、尾形の名前は重たいよ』と言われました。『尾形藤吉も盛次もいい調教師だったけど、あの三代目はどうしようもないね』なんて言われると祖父に顔向けできない。だから、私生活を含めて、朝の調教に出遅れるなど、だらしないことは一切しませんでした」
「やっぱり、人は財産だと思います」
あと1勝で通算800勝。残り3週でなんとか達成してほしいところだが、自身の勝ち鞍に関して、700勝を超えたとき、こう話していた。
「1厩舎に20馬房という時代で、毎年20勝すれば30年で600勝ですよね。それが700勝できたということで、尾形藤吉の孫として、そんなに恥ずかしくない結果を出せたのかな、と思っています。それは、人に助けられた部分が多いですね。祖父ほど上手く人を育てることはできませんでしたが、やっぱり、人は財産だと思います」
もうひとりの尾形和幸調教師は、同姓だが血縁ではない。尾形藤吉から受け継がれてきた「尾形」の看板は、競馬界からなくなってしまう。