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牧田和久は世界中で「打ちにくい」。
アンダースローと緩急で海を渡る。 

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市川忍

市川忍Shinobu Ichikawa

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photograph byKyodo News

posted2018/01/25 08:00

牧田和久は世界中で「打ちにくい」。アンダースローと緩急で海を渡る。<Number Web> photograph by Kyodo News

パドレスには大リーグでプレーした野茂英雄氏、斎藤隆氏がアドバイザーとして従事。心強い味方だ。

高校1年でアンダースローをはじめ、プロ入りは地味。

 絶滅危惧種と形容されるアンダースローの牧田だが、現在の投げ方に変わったのは高校1年生の秋だった。野球部の顧問の「下から投げてみろ」という一言がきっかけだった。

 平成国際大を経て日本通運に進み、2011年、西武にドラフト2位で入団。同じ年のドラフト1位は6球団が競合した早稲田大の大石達也。牧田は「社会人から入る即戦力投手」という評価ではあったが、大石の陰に隠れ、注目度はさほど高くはなかった。

 開幕前の二軍での練習試合で好投し、開幕一軍入りを勝ち取った。開幕後は与えられた先発のチャンスで好投を続けた。打線の援護に恵まれない試合も多かったが、真骨頂ともいえる粘り強いピッチングで首脳陣の信頼を得た。

 シーズン途中からクローザーに転向し、終わってみれば22セーブという成績を残していた。その年の新人王を獲得。2年目以降の活躍は今さら語ることもないだろう。

 ときには先発ローテーションの一角として、ときにはクローザーとして、そしてロングリリーフもできる中継ぎとして、7シーズンにわたり献身的に西武の投手陣を支えてきた。

「僕は三振をたくさん取ったり、マウンドに上がった瞬間に相手が“これは打てない”と諦めるような、そういうタイプの投手ではないので」と、牧田は事あるごとに語る。

 どんな場面でも冷静に打者に相対し、成果を挙げることで周囲に認められてきた投手である。

「喜怒哀楽の激しい投手は自滅しやすいんですよ」

 牧田の転機となった時期といえば、日本通運時代だろう。社会人2年目の秋、右ひざの前十字じん帯を断裂した。ももの裏の腱をひざに移植する手術を行い、リハビリのために1年間野球ができなかった。

「外から試合を見ていると、いろいろなことがわかるんです。特に投手のことはよく観察しました。喜怒哀楽の激しい投手は自滅しやすいんですよ。イライラが顔に出ると必ずコントロールを乱したり、フォアボールを与えたりして、自ら崩れます。

 イライラしていいことなんて何もない。ケガが治って投げられるようになったら、自分は何があっても表情に出さない投手になろうと思いました」

 WBCでもポーカーフェイスを貫き、緩急をつけたピッチングで打者を翻弄した。そんな牧田のピッチングは、このころの経験が基盤となって作られた。

【次ページ】 「打ちにくい」「嫌だ」と言われるために。

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