サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
森保監督にサッカー界全体の協力を。
五輪代表とクラブの「難しい関係」。
posted2017/10/19 11:30
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
期待を抱かせる人選だ。2020年の東京五輪の監督に、森保一氏が指名された。
複数の候補者がリストアップされてきたなかで、森保監督の誕生を後押しした理由はいくつかある。
まずはJ1リーグでの実績だ。'12年に古巣のサンフレッチェ広島の監督に就任すると、1年目でいきなりJ1リーグ制覇を成し遂げた。翌年もJ1リーグの頂点に立った。'15年には三度リーグ優勝を成し遂げ、2度目の出場となったクラブW杯では3位に食い込んでいる。
ミハイロ・ペトロビッチ前監督のチームを引き継ぎつつも、森保監督指揮下のチームは毎年のように主力選手を引き抜かれてきた。そのなかで、安定した成績を残してきたのである。「Jリーグで実績をあげた日本人指導者」という五輪代表監督の条件を、歴代の監督よりも高いレベルで満たしていると言っていい。
世界の厳しさを彼ほど知る監督もそういない。
国際試合の厳しさを、身体に刻んでいる監督でもある。
現役時代の森保監督は“ドーハの悲劇”を経験している。初のワールドカップの出場まであと数秒に迫った1993年10月28日のイラク戦で、当時25歳のボランチは記憶から消し去ることのできない場面に出会う。
イラクに被弾したヘディングシュートを巻き戻すと、カズこと三浦知良と森保が左サイドでクロスボールをブロックしようとしている。日本の虚を突くようなショートコーナーに背番号11がスライディングで身体を投げ出し、背番号17は精いっぱいのジャンプで対応したが、クロスボールはゴール前へ上がっていく。W杯の出場圏内から、日本は滑り落ちてしまったのだった。
のちに森保は振り返っている。
「僕があと数メートルでも前にいれば、0コンマ何秒でも早く動いていれば、自分の身体にボールが当たったかもしれない。あるいは相手のショートコーナーに対して、自分がアプローチしていれば良かったんじゃないか……」