藤田俊哉の日欧蹴球比較論BACK NUMBER
欧州クラブは日本人選手のここを見る。
藤田俊哉が考える海外移籍の核心。
posted2017/07/27 11:30
text by
藤田俊哉Toshiya Fujita
photograph by
Toshiya Fujita
当時はまだ「移籍」という言葉は、身近なものではなかった。
この言葉を意識するようになったのは、プロサッカーリーグ(Jリーグ)がスタートした1993年頃から。日本人選手にとってはまだ縁遠いものだったが、今後は日本のサッカー界にも馴染んでいくのではないかと私は感じていた。
その当時の「移籍」は、どちらかといえばネガティブに感じられていた記憶がある。移籍する日本人選手はJFLからJリーグクラブへ移ることがメインで、Jリーグのクラブ間の移籍はまずない……というよりも、できないと考えられていた。移籍は助っ人外国人が行うものだというイメージを持っていた選手も多かったはずである。
そんな時代だったので、日本人選手の国内移籍は世間的にもタブーのように扱われていた。しかしJリーグも25年が経過し、当時タブーと見られていた「移籍」に対する考え方、その使い方、制度など取り巻く環境のすべてが大きく変わった。今では国内移籍も頻繁にあり、日本代表選手が国内で移籍しても不思議ではない。
今日まで移籍には多くのドラマがあり、人々の感情をいろんな方向に揺り動かしてきた。それらのすべてがJリーグの歴史であって、この先もずっと続いていくことになるのだろう。
「規律を忠実に守る」という評価ポイント。
Jリーグの誕生後しばらくの間は、日本人選手には国内ルールが適用され、外国人選手とは異なる移籍制度が運用されてきた。現在はFIFAの定めるルールに統一されており、同じ条件での移籍が可能となっている。
Jリーグによって、日本サッカーのレベルは格段に上がった。それと同様にルール改正も進み、国内のみならず海外への移籍も頻繁に見られるようになった。それでもまだヨーロッパをはじめとする海外への移籍には、シーズン開幕時期の違いやサッカー文化の違いなどがあり、簡単になったとまではいえない状況だ。
カズさん(ジェノア)や中田英寿(ペルージャ)らのイタリア・セリエAへの移籍と活躍をきっかけに、日本人選手の世界への扉が開かれた。先人に続いた多くの選手たちの存在もあって、いまでは日本人の力はヨーロッパでも認められている。特に「規律を忠実に守る」という日本人の特徴、私たちにとっては特別とも思えないこのポイントが高く評価されている。