マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
高校球児がテレビで野球を見ない?
「他人の野球」に興味がない子供たち。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byShigeki Yamamoto
posted2017/07/19 07:00
高校球児の憧れの選手が、自校OB以外のプロ選手や外国人メジャーリーガーであることは少ない。これはサッカーと比べても顕著な現象だろう。
スマホというカプセルに入ったままの子どもたち。
スマホの操作が始まった瞬間、それぞれが自分の“カプセル”の中にこもり、カプセルに入ったままの状態で別れていく。
おそらく彼らは、そのあともカプセルの中にとどまったまま、夕食を摂り、眠るのだろう。
彼らはいったい、何から逃れるために、スマホというカプセルの中に逃げ込むのだろうか。
帰りの電車に乗るなりスマホに逃げ込まなきゃならないほど、今日の練習は熾烈を極めたのか。思い出したくもない峻烈さだったのか。
そんな現実も、頭に浮かんだ。
人の野球をみることは、するのと同じくらい大切。
人の野球を見ることは、自分が野球をすることと同じくらい大切だ。
なぜなら私たちは、人の野球を見ることで、知らず知らずのうちに野球のワザを学び、野球への興味を深めてきたからだ。
子供の頃から、毎日何時間も組織だった野球を続けてきた者はいないだろう。軟式の少年野球やリトルリーグに所属していた者だって、せいぜい週末の2日か3日であり、ほかの日は草野球で遊ぶか、ほかのスポーツに取り組むか。あとは、毎日のようにテレビのナイター中継を楽しみにし、選手のフォームを真似して覚え、それを自分流にアレンジして、野球少年として育ってきたはずだ。
球児たちが家で見ないのであれば、普段の練習時間の中で、みんなで見てもよいではないか。
野球を見ることが“練習”。
選手なら、野球の情景の中に必ず自分を重ね合わせる。それが、練習になる。
大人(指導者)が中に入って共に見れば、さらによい。グラウンドではなんだか距離を感じる大人たちが、室内の同じ空間と時間を共有しながら、同じ映像を見て、驚嘆したり感動したりしながら、わいわいと語り合う。