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日本マラソンのレベル低下に一石!
設楽悠太は「攻めて」東京五輪へ。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byManami Takahashi
posted2017/07/19 08:00
東洋大からHonda。長距離界の王道を走る設楽悠太は、そのスピードをさらに加速していこうとしている。
こういう走りを積み重ねれば、日本記録は絶対破れる。
初めてのマラソンということに加え、年始のニューイヤー駅伝から1カ月での挑戦ということもあり、走り込み不足という不安要素もあった。だが、本人はいたって冷静だったという。
「40km走をやらないと不安という人も多いと思いますけど、僕は全然不安はなかったです。不安があった時点でマラソンは走りませんし、まずは自分の練習スタイルを見つけようと思いました。あとは経験の部分だと思うので、こういう走りをどんどん積み重ねて行けば、30km以降も慣れるというか、走れるようになると思います。そうすれば日本記録は絶対に破れると思いますし、2時間4分台、5分台も目指してやっていきたいですね」
少し意外だったのが、話をしている設楽が「世界」「日本記録」「攻めの走り」といった、強い言葉を繰り返したことだ。
兄弟の闘争心、そして箱根への思いが成長させた。
というのも大学までの設楽は、どちらかというと飄々と試合に臨み、レース後も淡々と言葉を紡いでいた印象があったからだ。大学時代の意識については、本人もこう振りかえる。
「『世界を目指そう』という考えが出たのは社会人になってからで、学生の時は全く考えていなかったです。僕が東洋大学に行ったのは箱根駅伝が走りたかったからで、大学時代はもう、本当にそれだけでした。僕の中では絶対にはずせない試合でしたし、今の学生が『箱根駅伝は通過点』とか言っているのを聞くと、驚きます」
“設楽兄弟”の名を一躍全国区にした箱根駅伝においても、最終学年では主将に加え、山登りの5区も務めた双子の兄・啓太のキャプテンシーがクローズアップされることが多く、弟の悠太がこれほど明確に闘争心を見せることは稀だったように思う。
「小学校から兄貴と一緒に陸上をはじめて、大学まで同じチームでやっていましたけど、隣でずっと一緒に陸上を続けてくれた。自分が故障しているときもアイツがしっかりチームをまとめてくれて、自分も早く一緒に走りたいという気持ちにもさせてくれました。そういう意味では、お互い切磋琢磨しながらここまで成長してこられたと思います」