マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
周囲の刺すような視線に耐えて……。
高校球児が最初に試される能力は?
posted2017/07/13 08:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Naoya Sanuki
夏の高校野球が始まった。
甲子園はまだ1カ月も先だが、私には予選のほうが「夏の高校野球」をより実感させる。
おそらく、私の高校野球が“予選”だけの高校野球だったからだろう。私のような感覚の元・球児は意外と多いようだ。
以前、試しに何人もの元・球児に訊いてみたことがあるが、やはり、甲子園の夢破れた組のほとんどが「オレの高校野球は予選がすべてだった」というようなことを語り、中には、「みんなで海に行っていて、甲子園は見もしなかった」と答えた“ふとどきもの”もいた。
しかし、私はその話にいたく共感したものだ。
夏の予選を戦って敗れた者は、やはりみんな悔しいのだ。
その悔しさから目をそむけるために、高校野球とはなるべく対極の世界に身を置くことで、悔しさをなぐさめていた。そんな、なさけないけど愛すべき時間が、当時の私にもあったからだ。
負けた次の日から、新チームの練習に参加してました!
たまにそんなことを言う元・球児に会うと、私は「すごいな!」と敬意を表しながらも、同時に、「人間、そこまで立派でなくてもいいんじゃないか……」などと思ってしまったりもする。
トーナメントほど冷酷な対戦方式もない。
高校野球はトーナメント戦である。
トーナメントほど冷酷な対戦方式もないだろう。稀に引き分けというのもあるが、毎日、ほぼ間違いなく試合の数だけチームが消えていく。
多数の中から、最少の日数で勝者を決めるためには、こんなに都合のよい方法はなく、そのために、野球以外の多くのスポーツでも採用されている。
ただ、都合がよいのは主催者側にとってのことで、競技者側にとっては、血も涙もない冷徹な方式だといって大きく間違ってはいないだろう。
その“都合良さ”をさらに推進させるのが、「タイブレーク方式」という試合方式だ。
選手たちの体調管理という理由もあるが、引き分けをなくすためには、主催者側にとっては、これ以上都合の良い方式はないだろう。