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元嫌われ者がマスターズを勝つまで。
ガルシアが捨てた驕り、学んだ感謝。
posted2017/07/04 08:00
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph by
AFLO
メジャー大会の開催が近づくと、優勝予想に花が咲く。最近、勝利を重ねて好調な選手。ランキングを急上昇中の選手。そんな勢いのある選手が候補に上がるのは当然のこと。
その意味では、全米オープン開幕前の優勝予想においてブルックス・ケプカは忘れられた存在だった。というのも、全米オープンを迎えるまでの彼が米ツアーで挙げていた勝利は1勝のみ。しかもそれは2年前の春のこと。そんな彼が優勝候補に上がらなかったことは、妙な言い方にはなるが、自然の流れだった。
それならば、マスターズ開幕前のセルヒオ・ガルシアはどうだったかと言えば、ガルシアもまた開幕前は忘れられた存在だった。
米ツアーでは昨年5月にバイロン・ネルソン選手権で優勝したものの、それは2012年のウインダム選手権以来、実に4年ぶりの勝利。さらに1つ前は2008年のプレーヤーズ選手権という具合。4年毎ぐらいのスパンでしか雄姿を見せることができていなかったガルシアが、37歳の春にいきなりマスターズで勝つと予想していた人は多くはなかった。
さらに言えば、メジャー4大会におけるガルシアの戦績は実に0勝73敗という惨憺たるもの。メジャーで勝てそうで勝てないグッドプレーヤー。そんなふうに見られていたマスターズ開幕前のガルシアは、振り返れば、優勝予想では忘れられた存在だった。
ガルシア自身はどう思っていたのか。もちろん、優勝を欲することなくしてアスリートが戦いの場に立つことはない。しかし、オーガスタにやってきたガルシアの勝利への渇望の見せ方はきわめて控えめで、それゆえに周囲は彼の秘めたる闘志には気がつかず、彼の近年の地道な努力、ひたむきな生き方にも気づいてあげることはできていなかった。
昔のガルシアは、地道さとは程遠い存在だった。
なぜ「近年の地道な努力」と書いたのかと言えば、「近年」ではなく「昔」のガルシアは、「地道」とは対極をなしていたからだ。
スペインで生まれたガルシアは父親ビクトルの手ほどきを受け、天才ゴルファーと呼ばれながら育った。19歳でプロ転向を果たし、米ツアーデビューした1999年の夏、いきなり全米プロでタイガー・ウッズと激しい一騎打ちを演じ、世界の注目を集めるスター選手になった。
それからのガルシアは自信に溢れ、次々に勝利を重ねていった。だが、メジャー大会では優勝に迫りながら必ず最後には敗れ、「なかなか勝てない」と揶揄されるようになった。「ネクスト・タイガー」と呼ばれていたガルシアは、今度は「ウッズとはほど遠い」と米メディアから酷評される始末。