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負けても再び立ち上がる村田諒太。
哲学者・岸見一郎への告白。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byTadashi Shirasawa
posted2017/05/26 11:00
取材をした時の哲学者・岸見一郎(左)と村田諒太。まったく異なるジャンル、30歳の年の差を感じさせない明るく爽やかな対談だった。
「戦っているのが対戦相手ではなく、世間になった」
岸見「他者からどう見られるかに恐怖を感じ、仮想の敵からの攻撃をかわしたり、パンチを繰り出すことを、アドラーは『シャドーボクシング』と呼んでいました」
村田「普通の意味とは違いますよね。影と戦っていると。確かに僕も他者の視線と戦っていました。また勝てば勝つほどその気持ちは大きくなるんです。僕は'11年の世界選手権で決勝に行くまで、世界的には無名の選手でした。でもそこでオリンピックの出場権を得た瞬間から、戦っているものが対戦相手でなく世間になったような気がして。その感覚はいまだに残っています」
岸見「でも、最近の村田さんのご発言などを見ると、意識の向け方が少し変わってこられたのではないですか」
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村田「そうですね。スポーツ心理学ではよく、コントロールできるものだけに焦点を合わせなさい、と言われます。観衆や、対戦相手、ジャッジ、結果といったものは、コントロールできない。唯一コントロールできるのは自分の気の持ちようやプレーです。最近は僕も少しずつ、自分のできること、自分の変えられることだけを考えるようになってきました。そういう意識でいると、少し気持ちが楽になるんです」
「恩返ししたい」という気持ちが特に強くなるとき。
岸見「お考えを推察しますと、誰かから認めてほしいという承認欲求ではなくて、他の人からサポートされている、その人たちのおかげでプレーできていることを意識され、今度はそこに返していこうという気持ちが強まってこられたのかな、と」
村田「そうです。舞台が大きくなるほど感じるところがありまして、次は世界戦などと言われると、皆さんリスクを背負って僕に投資してくださるので、恩返ししたい気持ちは凄く強いですね」
岸見「恩返しというお気持ちと、いわゆる自己実現の欲求のバランスを考えると、どちらが大きいのでしょうか」
村田「うーん、どちらも大きいでしょうか」
岸見「直接かかわっている人はもちろん、見ている人は、村田さんがプレーされていること自体から、勇気をもらうのですよ」
村田「えっ、そ、そうか……」
岸見「子どもたちはそのプレーを見て、夢を持つ。村田さんはそういう形で貢献されている、という気が私はします。そういう貢献感はとても大事だと思います。ボクシングそのものはあくまで自分の問題で、勝つために何ができるかを考えて、鍛錬しなければならない。そういう意味では孤高の営みでしょうが、それを見ている人に必ず勇気を与えることができます」