プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
46年目の新日本プロレスの近未来。
オカダとタイガーマスクWの遭遇。
posted2017/03/08 17:30
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
「ワクワクだけじゃ、楽しいだけじゃ、終わらない一戦でした。きつかった。強かった。オレほどではないけれど」
オカダ・カズチカはタイガーマスクWとの試合に勝利した後、戦いの激しさ、厳しさとは逆に少し余裕を見せた。
3月6日は新日本プロレスの45回目の「誕生日」だった。
45年前、1972年3月6日、大田区体育館。アントニオ猪木は「夢とロマン」を掲げて、新日本プロレスを旗揚げした。
私はこの「旗揚げオープニングシリーズ」から新日本プロレスを撮り始めるが、大田区体育館には行っていない。猪木とカール・ゴッチのクラシックな戦いは後にフィルムの映像で見た。
猪木vs.ゴッチを記憶している人はほぼいないだろう。
あれから、長い歳月が流れた。現在の大田区総合体育館はかつての大田区体育館と同じ敷地に建っている。試合前のスクリーンは当時の模様を映し出していたが、集まった満員のファンの中に、猪木とゴッチの戦いを記憶している人は何人もいないだろう。
どうにか旗揚げにこぎつけた新日本プロレスだったが客の入りは悲惨だった。大田区体育館の後はどこもガラガラ続きで閑古鳥が鳴いていた。地方で名が通ったのは猪木と、助っ人の豊登だけだった。
柴田勝頼の父親、柴田勝久はメキシコやグァテマラで戦っていたが、魁勝司(北沢幹之)と共に猪木によって呼び戻された。藤波辰巳(辰爾)とリトル浜田(グラン浜田)らが前座で戦っていた。