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あの伝説の有馬記念から26年……。
今だから話せるオグリキャップ秘話。
posted2016/12/15 07:00
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Tomohiko Hayashi
1990年12月23日、第35回有馬記念。17万人の大観衆の前で起きた奇跡は今でも競馬ファンの語り草だ。天皇賞・秋、ジャパンカップと惨敗してこのレースを迎えたオグリキャップが、引退レースで優勝。勝利を祝うオグリコールは「競馬場全体が揺れているようだった」という。
第二次競馬ブームを支えた名馬オグリキャップを管理した瀬戸口勉元調教師は、'88年冬、笠松地方競馬場で12戦10勝と快進撃を続け、中央に移籍することになったオグリキャップを、笠松の厩舎で初めて見た時の印象をこう語る。
「顔はいいし、目はぱちくり、鼻が大きくてさ。歩かせたらものすごく柔らかいというか全身で歩いている感じで、これは走るんじゃないかって」
同年1月、笠松の鷲見厩舎から中央の瀬戸口厩舎へ移籍した。
「調教で走らせたら、結構走った。最初のレースはペガサスS(GIII)。笠松と中央ではどれぐらいレベル差があるかわからないから、どこまでやれるかと思っていた、でも、いきなり重賞を勝ってね。それから勝ち続けて、いよいよ本物だなと」
皐月賞、ダービーには出なかったが、重賞6連勝!
快進撃は続いた。
オグリキャップはペガサスS、毎日杯、高松宮記念など重賞6連勝。クラシック登録がなかったため、皐月賞やダービーに出ることはできなかったが、その鬱憤を晴らすように、圧倒的な強さを見せつけた。
「重賞6連勝したあたりからファンがいっぱい増えた。地方からあがってきて、中央のエリートたちをなぎ倒した。かつてハイセイコーも同じような道を歩んで大人気だったね」
オグリキャップの強さについて瀬戸口氏が特に強調するのはその「強靭な心臓」だ。