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33歳で甲子園優勝の小針崇宏監督。
恩師が語る作新学院指揮官の素顔。 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byHideki Sugiyama

posted2016/08/21 19:40

33歳で甲子園優勝の小針崇宏監督。恩師が語る作新学院指揮官の素顔。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

小針崇宏監督は、口数が少ない。しかし周囲の人々が彼に寄せる信頼を見れば、その人柄がいかなるものかはわかる。

作新の犠打は5試合でわずか3個。それも彼らしい。

――選手としては、どうだったんですか。

 肩は弱かったんですけど、捕球はとてもうまかった。ある日、自主練でサードについて、バックハンドで捕る練習ばっかりやっていたんです。何してんの? と聞いたら、目の前でイレギュラーバウンドしたとき、こんな感じで頭の上で捕れないかなと思いまして……と。そんなことまで考えて練習しているんだと感心しました。

――作新の犠打は5試合でわずか3個。ほとんど送りバントをしないということでも注目を集めました。

 それも彼らしいですよね。小針がそうであったように、作新の選手も、一人一人が状況を考えてバッティングをしている。監督にコントロールされているような感じがない。だからノーアウト一塁から打たせても野球になるんです。

練習を見に行ったら、部員と一緒にグラウンド整備。

――たくさんの教え子が指導者になっていますが、その中でも、小針監督は、いい指導者になるだろうなと思われていたわけですね。

 小針はもともと母校に指導者として戻る予定で、筑波大学に入ったんです。大学を卒業して、すぐに作新に採用されたので、スムーズに戻れてよかったなと思っていた矢先、1年目の夏から監督になりますと連絡が来ました。でも、そのときは反対したんです。指導者としての資質は間違いないと思っていましたけど、23歳の若さで、春夏連覇したこともある伝統校の監督を務めるなんて、苦労がないわけないんですから。ただ、もうそのときには結論は出ていたみたいなんですけど。

 就任当初は、心配になって何度か練習を観に行きました。内緒で訪ねたこともあります。あるとき、いくら探しても彼が見当たらないので、一人の部員に聞いたら、内野グラウンドを部員と一緒に整備していました。体が小さいので、高校生と見分けがつかなかったんです。そうやって選手と一緒に何でもやるという感じでしたね。

【次ページ】 「生意気だと誤解されるのでは」という心配も杞憂に。

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